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2006/06/30

6月に咲いた菊。

Dsc003831
菊の芽摘みを誤り、花芽を残してしまい、なんと6月に開花してしまった。この菊は昨年10月31日の記事の物と同じ菊で秋咲きのものである。
早咲きしたので綺麗に開花しなかったし、ご覧のように虫にもやられた。
あじさいをバックに撮影。梅雨と晩秋が同居している。

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2006/06/29

安全環境が悪化?

「子供たちを取り巻く安全環境が悪化しています」というキャッチフレーズで地元FM局(FM fukui)が各企業などに呼びかけて、防犯ブザー配布などのキャンペーンを行っている。
で、今日はこの運動自体のお話ではない。
問題なのは「子供たちを取り巻く安全環境が悪化しています」というフレーズ。
言いたい事は分る。でもこの言葉ちょっと変だと思いませんか?
言葉にうるさいFM fukui?にしては説明不足。
☆解釈1、安全だった環境が悪化しています。
☆解釈2、安全だと思われていた環境が悪化しています。
悪化した環境は安全環境とは言わない。言葉からは深刻な危険な状況(環境)にはまだなっていない。以前の環境より悪くなってきているという現在進行形をとっている。
にも拘らず「安全環境」という、この場合「過去」の状態に無理やり結びつけた所にことばの時空捻れが生じている。
「子供たちを取り巻く環境が悪化しています」ではあまりにインパクトがないので「安全環境」という言葉を用いることで「危険」という言葉を思い起させる手法なのは分る。
ここでゴチャゴチャ言っていてもしかたないので、FM fukuiの担当者に聞いてみた。
先方は、このフレーズが変だという意識は当然無いのでこのフレーズの解釈として☆解釈1なのか聞いた。以前は「安全だった」のか?その根拠は。☆解釈2についても「安全だと思われていた」その根拠は?または他に何かあるのかも聞いたけれど明確な返答は無く「今後の安全キャンペーンの標語の参考にさせていただきます」とのこと。上手く逃げられた。「うるさいなーもー。この忙しい時にどーでもいいようなこと言ってきて。いるんだよな暑い季節になるとノーミソが腐るヤツが」と思ったかどうかは分らないけれど…。
このフレーズはもう3年も使っているらしいけれど「今までどこからもクレームはついていない」とのこと。暗に「お前は変だ」と言われているみたいだ。
ガーラなんかで既にここに書いた事分っているかも?(笑)

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2006/06/28

見当違いな美術展。

ローカルな市美展(ローカルなのはあたり前か)にフラフラと出かけた。
書道を見ていて、フッと目に止まった作品があった。
みるからに若い作風(男子高校生)の臨書「九成宮禮泉銘」
「蒸し暑い日中にサッと吹抜けた爽やかな風」そんな感じのとてもいい作品だった。
書道をやった方は知っていると思いますが、洗練された楷書で知られた九成宮禮泉銘は洗練されているが故に、いい意味での不思議なバランスの狂いがある(と僕は思っている)
ただ、こういう展覧会では、書道としてのパフォーマンス(目を引く)には乏しい為か入賞はしていないけれど、僕の目をひいたのだからアッパレである(笑)
審査員、無鑑査作家の見るに耐えない、先の言葉を使うなら蒸し暑い(むさ苦しい)作品や他の出品者の見当違いな「意臨」の中でこれだけは爽やかないい空気に包まれていた。
これと同じ事が他の部門(絵画や造形、デザイン)にも言える。特に審査員や無鑑査作家の多くの作品がなんの意味も持たない展示物だった。
先の書道に話を戻す。
「『臨書』なんて他人の書いたものの真似じゃないか!」と…。
ま、そう思われる方はここから先は読まなくていい。
「臨書」していて感じる事、想う事があると思う。自分と言うオーバレイをその上に重ね、書くという作業と同時に何か得るものがあると思う。これは書道に限った事ではなく、音楽や絵画にも言える。究極のオマージュと言ってもいいだろう。
最近、ある画家の影響であまりいい響きではない「オマージュ」だけれど、先人はどのように思いながらこの作品を作ったのだろうと思いを馳せるのもいい。その思いを少しでも感じるのが「臨書」であり「オマージュ」であり「コピー(表現は悪いが)」だと思う。そこに自分の自然な心の流れが合流できた時とても爽やかな風が吹く。そしてこれをしっかりやった時にモノの基礎がしっかり築かれるのだと思う。それを軽視した作品が先に書いた「見当違いの『意臨』」となるわけだ。そしてそれは僕のような素人でも感じてしまう。

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2006/06/27

アイドルは記号?

PUFFY の「Splurge」なかなかいい。
ここでくどくどインプレするより聴いた方が早い。
で、僕はPUFFYについてはほとんど知識がなかった。このアルバムにはむかしのLPによくあったような全曲解説を兵庫慎司という方が書いている。
その中で「恋のエチュード」を聴きながらその解説を読んでいて笑ってしまった。「やっぱりそーだよなー」なんて変に納得。なんたってこれほど意味不明な歌詞は知らない。
「AメロとBメロの2つしかなくどっちがサビなんだ」というのもやっぱり笑ってしまう。
PUFFYについては渋谷陽一氏が書いている。「アイドルは記号である」という書き出しで「恐るべしPUFFY!」で結んでいる。なかなか興味深い文章だ。著作権上内容はここに書けないので興味のある方は買って下さい。
SMEかと思っていたら「キューンレコード」だった。

これは新しい車が来たら最初に聴きながらドライブだな。
で先日書いたsmartをあきらめ同じような小さな車にしました。輸入車よさらばなんです。でもVWも現行POLO同じ位の値段出してきてちょっとぐらついたけれど…。
とにかくまだ手元に無い。詳しくは後日。

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2006/06/26

直筆原稿はそんなにいいのか?

新聞のコラム欄にある小説家の直筆原稿について書いてあった。
「本人の文字の特徴と加筆、訂正のあとがはっきりわかり、校正の跡も生々しい。作家の息づかいが伝わってくる。」と書かれ「パソコンを使う作家が増えたが、キーをたたいて、打ち出される『生原稿』は何とも味気ない」と結んでいる。
これは編集者の目から見た偏見である。
通常僕たち読者は作家本人の文字(直筆)で文章を読む事などほとんど無い。印刷された活字から読み取る。そこには「生々しい」とか「味気ない」という感覚は一切関係ない。
生の文字から感じ取る見当違いな感覚が無いだけに、そこに偏見と言うものも自然に湧き出てくるし想像(空想)に浸れる。

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2006/06/23

不味いワインなら飲まなくていい!

「なかなか飲みやすいワインですね」などとはよく使われる言い回しなのだけれど、以前から「変な使われ方」として感じていた。「柔らかくて食べやすいお肉です」とは全く意味あいが違う。
「なかなか飲みやすいワインですね」じゃなく「美味しいワインですね」でよい。それとも美味しくはないのだけれど不味いとは言えないので、言葉を変えただけなのか。それをオバカチャンが真似して「美味しいワイン」の表現として使っているのだとしたらかなり間抜けである。
「飲みやすい」なんて青汁や苦い薬を飲みやすくしたみたいで…。
「楽天市場」のワインの所に「とってもフルーティで飲みやすいワインです」などと書かれているけれど、もう、こういう表現は訳が解らない。味の雰囲気を言葉で上手く表したつもりなのかもしれないけれど、かなり曖昧な表現。こんな言葉で「なるほど」なんて思う人はいないよね?いるのか?
元々不味くて飲みにくいからなんとか飲めるように(飲みやすく)するということだから、「そんなもの無理して飲まなくてもいいよ!」って言いたくなる。

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2006/06/21

ネコと格闘…負傷。

チョコ(猛猫)と格闘して左手に重傷(?)を負う。
結構本気出して噛みつかれた。
かなりアブナイ。
すぐに石鹸で手を洗い、マキロンで消毒。
猫にちょっと引っ掻かれるだけでもミミズ腫れになるのは、ネコの爪ってかなりバッチイ! ネコトイレをカシカシ掻き混ぜているし、外の土の中のばい菌なんかもいっぱい付いている。
ネコの「およど(涎)」なんか何が含まれているか分ったもんじゃない。最近毎日ネズミも食べているし…。
ま、ネコにやられるなんてしょっちゅうだからべつにいいいんだけれど、ちょっとキズが深かった。なんとか親指が動くようになったけれど、一時かなり腫れた。
気休めだけれど一応抗生物質(バナン錠)飲んでおいた。あとお腹の薬(ビオフェルミン)これこそ本当に気休めのような薬。
これを読んでいる人。もし僕のような怪我をしたら無理をせず医師の診察を受けた方がいいです。

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2006/06/20

気に入った車が購入できないワケ(理由)

ぼくがVW POLOを買った翌年にちょっと気になる車が発表された。今から8年位前になる。その車は「smart」小さくて独特のコンセプトから生み出されたコンパクトカー。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」でも登場するよね。
現在は車種が増えたので「smart fortwo」という。開発にはメルセデスベンツが係った。エンジンは同社のものが搭載されている。一時期軽自動車規格のものも販売されていた。輸入元はダイムラークライスラーで販売ネットワークにはヤナセなどメルセデス・ベンツ販売店がある。
先日まで、ぼくはこの車の購入を本気で考えていた。
POPな印象は乗る者の気持ちを明るくする。
極端に短いショートホイールベースの為自分でジャッキアップできるか、ホイールのボルトが15ミリなので大丈夫か、オイルドレンが無いため上抜きの件やオイルフィルターの交換など自分でも出来るかなどを検討。
実はこの車、数年前までは三菱で販売されていた。それが突然の撤退。三菱で購入されて面食らった方も多いと思う。
そしてここにきてまたこの車に暗雲が立ちこめて来た。
(詳しく書きたいけれど書けない理由を察していただきたい)ぼくの住む県だけの事かもしれないし、立ち上った不安材料は単なる噂なのかもしれない。でも購入を本気で考えている者にとってはとても気になる。
で、以前取引のあった日本最大手の輸入車販売会社(誰でも分るよね)の我が県内店に問い合わせ「本気で購入を考えているのだけれど率直な意見を聞きたい」とアドバイスを乞う。「smart」の販売戦略に関する事なのでこのブログでその内容を書く事は出来ないけれど。ぼくの出した結論は「購入をあきらめる」である。
今、机の上にはsmartのカタログといくつかの販売店を回った証の営業マンの名刺、自分なりに立てたプランと、整備に関する自己作成ファイルが行き場を失っている。
あとで泣きを見ない為にとったぼくの選択が正しかったのかどうか、結果が出るのは少し先になりそうだ。

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2006/06/19

水晶浜、今年の海開きは…?

本格的な夏間近ということもあり、海開きの検索が多くなって来ました。
「若狭・水晶浜・海開き」
今年2006年(平成18年)の水晶浜(竹波地区)の海開きは7月1日です。
付近の他の海開きの予定は分りません。
本日ここを通ったのですが、平日にも係らず既に泳いでいる人がいましたがまだ水温が低いようです。体を焼くにはいいかもしれませんが。

6月29日追加記入/水晶浜に隣接する「ダイヤ浜」の海開きは7月6日です。

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2006/06/18

吹奏楽(ファミリーコンサート)

毎年この梅雨の時期に市民吹奏楽団の「ファミリーコンサート」がある。
今年で14回目になるらしい。僕は昨年と今年の2回足を運んだ。

昨年も今日と同じように小雨が降っていた。あじさいが咲き始めた少し蒸し暑いこの時期ちょっと気晴らしになる。

じっと聞き込んでしまったのは「『トゥーランドット』誰もねてはならぬ」ウ〜ン気持ちのいい演奏だった。もう少し聴きたかった。
あれっ?と思ったのはエルガーの「威風堂々」僕はいつも管弦楽のCDを聴いているせいなのかもしれないけれど、少し湿り気があり切れ味が悪いように感じてしまった。今の季節がそう思わせてしまったのだろうか?本当の所はどうなんだろう。もしこれを聴いた他の方がいたら意見をいただけると有り難い。
ユージン・オーマンディ指揮/フィラデルフィア管弦楽団のものがスタンダードなものとして僕の頭の中に固着しているとするのならば、これは考えねばならない事だし、市吹の方に対して失礼な事を書いた事になる。ご容赦願いたい。
でも楽しませていただいた。会場と演奏者が一緒に楽しめる工夫もあったし、子供からお年寄りまで楽しめる選曲もよかった。
本当は昨年の定期演奏会が終わってからこの「ファミリーコンサート」を楽しみにしていたのである。

帰りがけにロビーで何年かぶりにサキソフォンのAさんに会った。いやー懐かしい。この方学生時代にバイトで結婚式場の巫女さんやっておられた方で当時本番前になると「おなかが イテテッ!」となっていたけれど…。
なんか、そんなこと思いだしたりして…ハハハ! 
時の流れの速さを感じてしまった。お元気そうで何よりだった。

今日の話題はおもいっきりローカルなものになってしまった。

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2006/06/15

PUFFY「恋のエチュード」

なにげなくFMを聞いていて、ん!これはいい曲だと思った。声からしてパフィー?(PUFFY)歌詞の一部を書きとめておいて検索したらありました。
「恋のエチュード」という曲です。
6月28日発売のNEW Album[PUFFY/Splurge]に入っているそうです。
PAFFYの公式HP
DISCOをクリックすると試聴出来ます。
このブログ左下の[oto frame]からも試聴できます。音が出るまでに少し時間がかかります。音量に注意して下さい。[oto frame]は予告無く削除する場合があります。ご了承下さい。

どこかで聞いたよーな〜なんて言わないで下さい。初め聞いたときそう感じてしまいました。3,059円。ちと高い!

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山あじさい…2

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先日(6月12日UP)より開花が進んで青い色が少し濃くなりました。見比べて下さい。
ご覧のようにガクアジサイなので中央部の花序(両性花)も開きました。
周辺の装飾花は野生ではあまり綺麗に揃いません。ま、そのあたりを品種改良して園芸品種にするわけですが、この自然の山あじさいの清楚な感じもいいものです。
今日、当地は暴風雨で一瞬の隙を狙い撮影しました。

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昨夜は開けなくて申し訳ありませんでした。

昨夜は記事をエントリーした後でこのブログが閲覧できなくなった。
他のココログも同じようで、エラーになるかすごく重い状態。
右の「ココログからのお知らせ」にも書いてあるけれど、
「2006年6月14日(水)22:13から2006年6月15日(木)01:00まで、ココログの閲覧がしにくい(表示が遅い、表示がしにくい)現象が発生しておりました。」
ってなっているけど…。
そんな激重の時間帯にあきらめずに辛抱強く29件のアクセスをしていただいた方に感謝します。
僕ですら「こりゃダメだ!や〜めた」状態でしたから。

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2006/06/14

藤井フミヤの新曲。

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新曲などというと一般に販売されるものと思いがちだが今回の「鎮守の里」と言う曲は伊勢神宮(以後神宮と記す)の20年に一度行われる「式年遷宮」のイメージソングで販売はされていない。入手については後で述べる。
神宮の式年遷宮とは20年に一度、社殿や御神宝類を新しく造りかえる大きな行事である。詳しくは神社本庁「神宮式年遷宮広報本部」をどうぞ。「鎮守の里」の歌詞も記載されています。

さて、曲の感想は宗教クサイと言ってしまえばそれまでだけれど、いきなり和太鼓の音からはじまり鈴、笙などの雅楽のスローなものに傾れ込む。
作詞/作曲は藤井フミヤ、日本語句表現指導を金田一秀穂氏が行っている。原詩にどれだけ手が入っているかは不明である。
藤井氏によれば神宮(内宮)の五十鈴川のほとりで河原に座りギターを弾きながら作曲したらしい。「メロディーのコンセプトは日本らしい音階で、古くから歌い継がれたような郷愁を感じるものにしたいと考えた」と述べている。たしかに聞いた感じでは童謡や唱歌のようでもある。眠くなるような子守唄のようにも感じるけれど…。
「誰もが唄えるようにわかりやすく美しい日本語を綴ったつもりです」とも書いてある。わかりやすいかどうかは疑問だし美しい日本語かどうかも?である。ただ、曲自体は単純で覚えやすく器用な人なら一度聞けば耳コピできるかもしれない。
題名の「鎮守の里」であるが鎮守の森ではなく「里」としたところに日本の津々浦々に暮らす人々と氏神様の関わりを表したものだろうが、神宮を中心に広がる日本中の数々の神社…。などといういらぬ苦しい解説がある。

5月19日に神宮でこの曲を藤井フミヤ氏は奉納(歌った)。
5月23日、赤坂プリンスホテル「五色の間」で午後3時10分から報道関係にも披露した。

先に書いた入手方法である。結論から言えば現在は困難な状態である。
現在関係者に2000枚のみが配布されている。広報によれば一般商品とは違って神宮に関するものなので、金銭による取引はしないとの事。これは藤井氏の事務所及びソニーミュージック共にその考えだそうだ。ということは神宮関係以外の場では一切聞く事の出来ない貴重な音源ということになる。ヤフオクで新品未開封のものが7,750円で落札されていたけれど…。
で今後の入手は、これはあくまで例えばの話で広報が語ってくれたのだけれど「今後、神宮の式年遷宮に奉賛され、それに対する気持ちとしてお分けする事もあるかもしれない」ということだ。なんとも曖昧な表現だけれど、要するに神宮式年遷宮行事に参加し、なんらかの寄付などがあればと言うふうにとれる。まさしく宗教的だけれど、ま、それに抵抗はあるけれどどうしても聞きたいのであれば(聞くだけなら)可能だ。近くの神社に行けばいい。ただし配布枚数からいって全ての神社にあるわけではない。確認する必要がある。

 藤井フミヤ/1.鎮守の里[4:55] 2.鎮守の里(Instrumental)[4:54]
そのうち第六十二回神宮式年遷宮頒布品になるかもしれない。

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2006/06/13

風のハルカ 森山直太朗「風花」

NHK 「風のハルカ」の主題歌に使われていた森山直太朗「風花」先日「風のハルカ感謝祭スペシャル」で聞いて懐かしくなった。
昨年この番組が始まった頃、僕はこの曲の事を次のように書いた。
「主題歌、森山直太朗「風花」彼に何の罪も恨みもないのだけれど、朝からあの曲を聴くと背骨が溶ける。」
「体が「グニ〜ャッ」っとなってしまう。」
と書いた。印象は今も変わらないけれど、歌詞の不明瞭な部分もあり、先日大枚200円を使いiTMSからDLした。「う〜ん・・・一体何語で歌っているんだ?」という部分がある。特に「♪〜愛し合う意味を〜…」の所なんて歌を聴いただけではなんと言っているのか絶対に解らない(と思う)
でもこの曲を聴くと田園を走る単線の列車が目に浮かぶ。田植えが終わった田んぼで除草作業?補植?をするおばちゃんの姿。ちょっと前ののどかな農村風景。

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その言葉に神は宿らない。

サッカーワールドカップ(W杯)日本はオーストラリアに負け黒星スタートとなった。
後半10分で3失点。おまけに中村俊輔の入れたゴールも誤審だったなんて話まで出ている。
僕は後半をラジオで聞いていたのだけれど、冗談だろ〜って思ってしまった。今日になりTVを見て、オーストラリアに最初から主導権を握られていたように感じた。
ある解説者なんて日本は勝つか悪くても引き分けなんて事を言っていたし、あまり悲観的な予想は聞かなかった。
僕のような素人には周りの声により日本のレベルを測るしかないので、けっこう素直に信じてしまう。
でも豪ヒディング監督が試合前に語った言葉が頭に残っている。「日本は世界ランキングで上だが試合では何がおこるか分らない」
僕はこれを聞いて日本有利などというジャーナリストなど、周りの声がやけに軽く感じられていただけにヒディング監督の言葉の重みを感じた。
結局ヒディング監督の言葉に神は宿った。
「日本はオーストラリアに負ける」等ということを事前に言うと非難を浴びる。(意見に対し責任が問われる)言葉=実体が伴うという軍国主義のような風潮が心の底に未だ存在する。
トリノ五輪の時もそうだった。周囲の過大評価に振り回され選手側の甘さが露呈し結果は「不振」という評価に終わった。
情熱を煽るのはいい、興奮、熱狂などの言葉が躍るのもいい。でも浮かれ気分で適当な評価をしそれを信じる僕のようなスポーツど素人にはとても迷惑だ。

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2006/06/12

山あじさい。

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「山あじさい」がどんどん小さくなり今後も絶対上手く育たない自信があったので(笑)昨年挿し木した。本体は見窄らしくなりこのままでは来年には消滅するかもしれない。一応土を鋤き込んだが…。
さて、写真の「山あじさい」は昨年挿し木したもの。地植えよりブルーの発色が悪い。挿し木床に植えたままの開花である。あじさいの挿し木はとても簡単で成功率が高い。このあじさいは魚の簡易アイスボックス(発泡スチロール)に底穴をあけ赤土を入れ挿し木をしたもの。日陰に置き毎日水をやるだけ。ここまでは簡単だけれど、今後これを何処に植えるかだ。
自然界で野生のあじさいは胸くらいの高さの笹や低木、草が茂りジメジメして湿気が多く木漏れ日が射すような所で「つちのこ」なんかがいそうな所。見た事ないけど…。マムシはいるし葉っぱが顔などに当たるのでへたをすると次の日には別人(かぶれて)になる。あまり行きたくない所。庭にあるものは、たまたま笹の茂る土手で採取しやすい所にあったもの。
★注意/植物採取の注意事項です。
山など全ての土地は持ち主がいます。無断で立ち入るとトラブルの元になります。また土など掘り返していると怪しまれます。事前に調べましょう。また最近は本州の山間部でもクマが多く出没しています。音の出る物を身につけ夕方の入山は避けましょう。

追加記入/6月15日の記事にその後の山あじさい「山あじさい…2」としてUPしました。

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2006/06/09

川嶋あい「12個の季節」のCDジャケット。

以前2nd maxi single「12個の季節」のCDジャケットのイラストについて書いた。
僕は騙し絵じゃないのかと書いた。でも周りの人は騙し絵じゃないと言う。
イラストだから校庭が左の方が低くなっているとしても不思議ではない。現実にそんな校庭があれば問題だけれど(サッカーなど出来ない)
イラストでは中央階段の左方が下方の段数が多いようにも見えるけれど特に構造的に矛盾は無い。
5月8日の記事に写真がありますので参照して下さい。
矛盾点を書きます。
中央丸柱と左の柱は階段途中にあります。右の壁柱は階段下部まであります。
これら3つは同一面にあります。ここで透視図法的に矛盾が生じます。
建物を無視して柱だけを見れば中央丸柱と左の柱は右の壁柱より後方にあります。
では柱より上の建物を見て下さい。中央丸柱と左の柱と右の壁柱は同じ面から出ています。もうおわかりですね、空間の歪みが。
解らない方は紙などで簡単に模型を作ってみて下さい。絶対作る事は出来ませんから。右の壁柱が長過ぎるのです。もしくは中央丸柱と左の柱が短すぎるのです。

この件について、騙し絵という意図で描かれたものなのか気になっていたので、川嶋あい事務局に問い合わせてみました。通常このような問い合わせに関しては完全に無視される。I WiSHの件に関してSMEに問い合わせても返事など来たためしがない。でも川嶋あい事務局からは翌日に返事が来た。感謝!
で、返答は、「特にそういった(騙し絵)意図はございませんがイラストレターの描画上の問題かと思います」と言う事だ。
ちょっと微妙な表現だけれど、騙し絵を作成したつもりはないけれど、結果的にそのようなものになってしまった。といったところか…。

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枕詞「あをによし」って…?

「あをによし」はご存知「奈良」にかかる枕詞です。
「あをによし」の解釈には諸説ありどれもがもっともらしく書かれています。
「奈良の都の絶頂期の建物の色」や「顔料の青丹を産出したから」とか、またその「青丹を馴熟す」などです。
「奈良に都が遷る以前から使われていた『あをによし』ですが奈良に都が遷ってからは都の美しさを表す言葉になった」など、ちょっとググるといっぱい出てきます。

「よし」の部分は遷都後は「よい」の意味にも使われるようになったようですが、「よ・し」は間投助詞のようです。辞書では「文節末尾について語調を整えたり感動の意味を付け加えるもの」となっています。これが入る事により文の成分の切れ目となっているようです。

なぜこんな事を書こうと思ったのか。それは「色・色彩」についての解説が今までに出てきていないのです。(おそらく)
そんなことはない、「あをに」は「緑青」だとか「青丹」とは「青黒い土」のことだとか「丹青」と言うならば「丹」は(明るいオレンジ色)で「青(緑)」を指すと言った具合に「色」について書かれているではないか!と言われるかもしれません。でもそれでは少し味気なく思うのです。

以下に述べる事は僕が高校時代にふと思った事なので、本文に書いた事以外、敷衍など出来ません。最初に断わっておきます。

解釈のキーポイントは「青・緑」と「赤・オレンジ」です。言わずと知れた反対色、または補色の付近に存在する色の組み合わせです。
解りやすくするため「赤」・「青」として考えます。同明度の場合これら2つの色の境目にはギラツキが生じ調和しません。で反対色や補色の調和で使う方法といえば「境目に無彩色を挟む」または「2つの色の面積差を大きくする」そしてもうひとつあります。それはどちらかの色の明度を変えること(明るい色「白を混ぜる」)(暗い色「黒を混ぜる」)により明度を変えることが出来ます。

さて、話を「奈良」に戻します。自然界の「赤」たとえば「赤土」はそれほど鮮やかな色ではありません。空の「青」や木々の「緑」は鮮やかな場合もあります。

稜線の松林とその下に続く赤土(岩くされ)を見た時「ハッ!」としました。
もしかしたらこのような自然界の色の調和を詠んだのではないかと。
「あを」は「針葉樹または空」であり「に」は「土の色(赤土)」ではないのかと…。
周りに点在する山々の景色を見て、知らず知らずのうちに自然界に存在する補色の調和を美しいものだと感じたのかもしれません。
そんな景色、日本の何処にでもあるのではないのかという声も聞こえてきそうですが…。
ま、このブログで特に結論を出そうなどと思っているわけではないし、間違いもあると思いますが気楽に読んでいただければいいのです。

「真弓常忠著/天香具山と畝傍山」によると、天香具山の埴土に「赤埴」と「白埴」というのがあるそうです。文字通り赤い粘土と白(無彩色)い絵の具のような土「白埴(白子)」共に陶土としてきわめて価値の高いものということです。

 「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」万葉集 巻第三 三二八

「あをによし」はそれぞれが好きな解釈をすればいいと思います。先に書いた事はもちろん僕の勝手な解釈(仮説)です。
それぞれが仮説の柱を立て思いめぐらせてみるところに、歌を鑑賞する楽しみがあると思います。

 

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2006/06/07

今日もサボテンの花。

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サボテンの花がまた咲いている!
品種名など知らない。
昨日は咲いていなかったから咲きたてだ。
黄色い方は造花のように見える。咲きたてでも既に花びらの先がうれわくらば状態。
う〜む今年はこんなに綺麗に咲くとは、天変地異でも…。
先日も書いたけれど大切に育ててはいない。夏は直射日光ガンガンの物干し場。ポリカーボネート樹脂に覆われているので40℃どころかもっと高くなる。そして冬は氷点下。過酷な環境である。「ご主人様は忘れた頃に水と気まぐれなエサしかくれない」とサボテンは言っているのか?それとも「ここはパラダイス」と思っているのか?
写真の花は共に直径4センチ位。本体のサボテンも同じ位。

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2006/06/05

サボテンの花。

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この写真は先月のものだけれど、もうひと月も咲いている。
植え替えもせず二年目、放ったらかしでもこんなに蕾をつけてくれた。ほんとに手間のかからない植物である。冬も雪こそあたらないけれど零下になる物干し場に置いてあったのに丈夫なサボテン。
大きさは左右15センチ、高さ12センチ位。本体は既に見えない。まわりの子供サボテンが勝手に小さな花を咲かせている。

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2006/06/04

ペット禁止!

あるホームセンター(仮にYホームセンターとする)での事。
店内で突然犬が鳴きビックリする。小型犬をつれたおばちゃんがいる。
ここはペットの持ち込みは禁じられている。近くの店員さんに言うと「ペット同伴は禁止していません」と僕を睨みつける。他の多くの店員さんはこの犬をつれたおばちゃんを見て見ぬ振り。キャンキャン鳴くので多くのお客は見ているが知らん顔。
インフォーメーションの係員(男女二人)に「ここはペットは禁止していますね!入り口両側にペット禁止の表示がありますね。店員さんは禁止していないとおっしゃるし、あなた方も注意していませんが、本当はどうなんですか?」と聞いたのだけれど、すみませんの言葉も無く無言。二人とも固まってしまっている。無言の人間は無用「Yグループ本社にこの件報告します」と言いしっかり係員の名札を確認した。
後に電話で再度聞いてみた。店長は不在で副店長なる方が出て「お得意様だから言いにくかった」の返事。バカだねこんな返事しか出来ないのは。
Yグループ本社では申し訳ございません。店長にこの件は指導するとの返答だった。
ご自分のお店(会社)で決めた規則(ルール)を表示しそれが履行できないのなら表示しなければいいのだ。

犬を連れたおばちゃんの跳梁ぶりが原因で、それを見て見ぬ振りをする人たちの流弊が感に障る。そして僕を密使であるかのような目で見た店員がそこにはいた。
もちろん僕は問題を俎上にのせようなんて思っていないし、そんな立場には無い。でも僕の目つきって誤解されやすいのかな。

世間では暑い車内に我が子を残し死亡させる事件がある一方、車内に○○(ペットの名前)ちゃんを残しておくのはかわいそうだからと禁止されている店内にペット同伴する人がいる。

よくよく思い返すとこの犬連れのおばちゃん、以前あるスーパーでも見かけたな。ガードマンがじっとこのおばちゃんを見ているので僕が「いいのですか?」と聞いたことがある。「ダメなんですが、何をされるか分らないので(恐い)」と泣きそうな表情で僕を見た。かなりお年を召されたガードマンで再就職でやっと雇用されたようで、その目には見逃してくれといった哀れさが漂っていた。その後僕を見かけるとにこっと笑って挨拶をしてくれていた。最近このおじさんを見かけない、元気でいるのだろうか…。

ペット同伴マナーについてはこちら

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2006/06/03

スタイライゼーション

今朝NHKで和田義彦氏が自信の絵画作品がアルベルト・スギ氏の先品に酷似しているという問題について語っておられた。
氏によればまったく違うものであり、構図を変化させている。空間、造形、奥の深さをよく見てほしい。私の作品を見てスギ氏が驚き賞賛してくれるものと思っていた。
そのような内容だったと思う。うろ覚えなので細部に関してニュアンスの違う部分はご容赦願いたい。
構図を変化させているということは、スギ氏の作品を資料・素材としたと言う意味にとれる。これも一つの便化だと言うのだろうか、よく分からない。
ベースになる構図を考えるという作業を簡略化したのか。
ゼロからモノを作るより既にあるものをベースにモノを作る方が手っ取り早い。
これは無駄を省くという意味では悪い事ではない。
周りにある製品・商品だってほとんどがベースになるものの上に成り立っている。全てのものを最初から考え作り直すような事は現実的ではない。
例えば自動車だって、最初に発明した人がいて、それがどんどん改良され現在に至っているし、旧モデルのパクリを新モデルはしたなどとは言わない。
どのメーカーの車にもエンジンがありトランスミッションがありタイヤがある。この構造を真似とはいわない。でもこれらの構造を今までに無い方法で連結したり、これらのものを包むもの(ボディデザイン)を真似すればパクリだと言われるかもしれない。人にはそれぞれ考え方の違いや感じ方の違いがある。
芸術には新しいモノを生み出そうとするシーズ指向のためのベースが必要だし、製品には課題を解決するため必要な技術を創造するニーズ指向という違いはあるのだけれど、元になる部分は同じようなものだと思う。この件について書き出すと混乱するのでこのへんでやめる。

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2006/06/02

今になって!

5月30日の「オマージュって都合のいい言葉だな!」という記事へのアクセスが全体の40%になっている。この記事を書いた時、みんなどんな事書いているのだろうとググって見たのだけれどアルベルト・スギ氏と和田義彦氏の絵画作品の酷似について書いているのは新聞くらいだった。
この件については新聞の記事をそのままコピペしているブログも多く、一応この時期にこんな事があったと言う自己記録(要するに日記)としての意味が強い。
変な事書いて後で名誉毀損で訴えられると困るので無難なのがいい。
表現には責任が伴うけれどやりたいことをやる(表現の自由)もある。ただ、人(対する人)がいる場合は配慮が必要だ。
基本的な事だけれど「自分がされたら嫌なことを他人にはしない」ということ。
和田氏がスギ氏の立場になったらどのように思うかもそのようなものだ。
音楽でも絵画でも文学でもおよそ芸術というものは今は自由に表現できる。そしてそれらのジャンルの中で類似性なんて山ほどある。
和田義彦氏の作品の現物を僕は見た事が無い。でも斯界では高い評価を与えられ、今回話題になったアルベルト・スギ氏の作品と酷似しているとされるいくつかの作品も高い評価を与えられている。
アルベルト・スギ氏の作品をオリジナルと表現するのは適切では無いかもしれないが、この作品の所在を知らずに、和田義彦氏の作品から何かを感じ高い評価を与えた多くの人がいるはずだ。そして今、和田氏の作品の評価を変える人がいるならば、その時の気持ちを取り消し自己の感覚を否定する事になる。

後になりアルベルト・スギ氏の作品の所在が分ったのだから評価を変えるのは当然だろ、という意見があるかもしれない。そう言う意見はよく分かるけれどその考え方は僕は理解できない。

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