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2006/06/28

見当違いな美術展。

ローカルな市美展(ローカルなのはあたり前か)にフラフラと出かけた。
書道を見ていて、フッと目に止まった作品があった。
みるからに若い作風(男子高校生)の臨書「九成宮禮泉銘」
「蒸し暑い日中にサッと吹抜けた爽やかな風」そんな感じのとてもいい作品だった。
書道をやった方は知っていると思いますが、洗練された楷書で知られた九成宮禮泉銘は洗練されているが故に、いい意味での不思議なバランスの狂いがある(と僕は思っている)
ただ、こういう展覧会では、書道としてのパフォーマンス(目を引く)には乏しい為か入賞はしていないけれど、僕の目をひいたのだからアッパレである(笑)
審査員、無鑑査作家の見るに耐えない、先の言葉を使うなら蒸し暑い(むさ苦しい)作品や他の出品者の見当違いな「意臨」の中でこれだけは爽やかないい空気に包まれていた。
これと同じ事が他の部門(絵画や造形、デザイン)にも言える。特に審査員や無鑑査作家の多くの作品がなんの意味も持たない展示物だった。
先の書道に話を戻す。
「『臨書』なんて他人の書いたものの真似じゃないか!」と…。
ま、そう思われる方はここから先は読まなくていい。
「臨書」していて感じる事、想う事があると思う。自分と言うオーバレイをその上に重ね、書くという作業と同時に何か得るものがあると思う。これは書道に限った事ではなく、音楽や絵画にも言える。究極のオマージュと言ってもいいだろう。
最近、ある画家の影響であまりいい響きではない「オマージュ」だけれど、先人はどのように思いながらこの作品を作ったのだろうと思いを馳せるのもいい。その思いを少しでも感じるのが「臨書」であり「オマージュ」であり「コピー(表現は悪いが)」だと思う。そこに自分の自然な心の流れが合流できた時とても爽やかな風が吹く。そしてこれをしっかりやった時にモノの基礎がしっかり築かれるのだと思う。それを軽視した作品が先に書いた「見当違いの『意臨』」となるわけだ。そしてそれは僕のような素人でも感じてしまう。

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コメント

なんていうか・・・この記事を読んで頭に浮かんできた言葉は・・・、
「二人羽織」、です。

投稿: yaco | 2006/06/28 23:32

「二人羽織」思うように行かないもどかしさ。

投稿: プル | 2006/06/29 23:33

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