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2007/09/06

絲山秋子著「海の仙人」について。

サブタイトルとして「主人公・河野勝男の自宅(場所)の考察」とする。
絲山さんは、あえて河野の自宅の場所は書いてはいない。特に場所を設定する必要などないのだろうけれど、僕は河野勝男の自宅の位置を探してみることにした。
海辺の街、敦賀。この小さな街のどこかにあるはず。小説中からヒントになる部分を繋ぎ合わせれば特に面倒な作業ではない。

河野勝男の自宅の位置を探す旅に出る。
(カギ括弧内は引用文で最後の数字は新潮文庫、第一刷のページを示す。)
水晶浜からの帰りのルートを示す部分として「車は国道27号の長いトンネルを抜けて住宅の建ち並ぶ敦賀市内に入った。8」とある。あえて敦賀半島を横断する道を選ばないという事は敦賀半島の東側に近い場所ではないということ。「長いトンネル」とは旗護山トンネルの事だろう。

「浦底は、敦賀半島の東側に位置する漁港で、河野の家からは車で30分ほどだった。20」観光パンフレットには敦賀ICから水島(浦底)まで車で30分とある。実際に走ってみると気比の松原から15分位だから、気比の松原(気比の浜)までは河野勝男の自宅から車で15分かかるということになる。

自宅からの眺めの表現に「窓の外の遠い海を見ながらビールを飲んだ。11」「家に帰ると、砂浜の部屋の窓からは遠くイカ釣り船の灯が見えた。19」海までの距離がなんとなく表現されている。

「意外なことに一番近い気比の浜の音が気に入った。144」自宅から一番近い海岸は気比の浜という事が分る。

ここまでくればもう簡単。僕は旅護山トンネルを抜けて敦賀市内に入ると一番最初の交差点(SUBARUの大きな看板がある)を右折。南(山の方)に車を進めた。海が見える地点を目指した。黒河川に沿って上流を目指すと、後ろに敦賀湾が見えて来た。気比の松林も見える。付近にいる人を捜してここから漁り火が見えるか聞いてみた。返事は「見えない」とのこと。
「えっ?なんで?」手元の敦賀全域図を見るとここからなら敦賀湾の外まで見えるはずなんだけど、変だな。と思いながら場所を移動。敦賀国際ゴルフ倶楽部で聞くと、やはり漁り火は見えないとのこと。海が見えるのに何で?双眼鏡で確認すると前方にぼんやり水島が見える。(この日はあまり視界が良くなかった)そして、その先になにか半島のようなものが確認できる。
ここでハッとした。もしかしたら敦賀市内から海は見えるけれど外洋は見えないのか?イカ釣りの船は数キロから数十キロの沖合(敦賀湾の外)にいるはず。
福井県全図で確認すると敦賀湾の前方には越前岬が西側に張り出していて沖合には越前市の山が立ちはだかっている。
隣町の美浜からは漁り火がよく見えるのに敦賀市内からは見えない理由はこれか?
あー絶望的。いくら敦賀の細かな地名を出してあると言ってもやっぱり小説だ。河野勝男の家の場所は物理的に存在しないのか。

越前岬より先にある日本海が見える地点がないのか探してみた。敦賀半島と越前岬をクリアできる地点。しかも先に書いた条件を満たす場所。
Img_0643地図上に線を引いて出した地点が写真の場所。本当はもう少し右がいいのだけれど山がありこれ以上は無理。
写真では見にくいと思いますが、前方には水島が見え(左からせりだしている半島と中央やや右よりの鉄塔の間に見えます)その先は日本海のようです。ここだと野菜を作っていた「余座」にも近いし・・・この位置から北に数十メートルの範囲が河野勝男の家の場所と勝手に決めてしまいましょう。
で、この場所はどこなんだという声が聞こえてきそうですがヒミツ・・・ ってバレバレなんだけど。

そんなわけで自宅の位置を考えながらこの小説を拾い読みしていると、いくつか、いや、ものすごーくたくさんの不思議な部分に気がつく。書き出すと長くなるけれど少しだけ書いてみる。(引用文その他の表記は先と同じ)
河野勝男は気比の浜でチェロを弾いている時に雷に打たれ失明する。「彼がチェロを手から離して逃げようとしたところに落雷があった・・・156」「『次に雷が落ちるとき、貴様はチェロから手を離さないだろう』ファンタジーは言った。158」
小説の一番最後に「西の方に雷雲を含んだその空は盲目の河野が肉眼で最後に見た光景と同じものだった。163」そして八年ぶりに河野に会いに来た片桐の目の前で再び、いや3度目の落雷にあうのか?
この小説で重要な役割をしているのが役に立たない神様(ファンタジー)いったい何者なのか読むたびに分からなくなる。
小説のボディー。それはオカヤドカリが背負っている貝殻のようなもの。如何様にも交換できる。それと平行して「ファンタジー」のいる裏側(対になっている)の世界。
表の流れは片桐や中村は絲山をモデルにしているようにも感じられるが裏の流れはファンタジーが絲山のように感じられる。
絶滅種や孤独なものと語り合う、ちょっとアブナイ不吉さを漂わせた神様。そんな神様が祭りを行った。死期が近い「かりん」の枕元で「祭りは続く」を歌った。謎の多いエディット・ピアフのナンバーだ。
ファンタジーは「俺様には現実と非現実の区別がない。135」と言っている。
気になるのは「そうか、作り話だとしたら、俺様はその物語に中に棲んでいたことになるな。135」なんと志賀直哉の『城の先にて』の中にも出ていたという。河野はインチキな話だというが、もしかしたらファンタジーは小説の中に棲む神様かもしれない。夜には小説のタマゴになって眠る。
「ファンタジーは言った。『おっと、来客だぞ。俺はこれで失礼する。元気で』162」「何言うてんのや、もう僕はいつでもあんたと話ができるんやで162」
ファンタジーは去っていった。もうこれから先は小説の世界ではない。
久しぶりに会った河野と片桐の運命はだれも分からないし、それを変えることもできない。

ここまでこじつけの解釈をするのってやっぱり変わってるわ。うん。変。
変と言えば今日これを書こうとしたMac(PowerBook G4)が起動途中で止まった。こんな事今までになかった。起動ディスクを検証するも異常は見つからない。神のイタズラか。

追加記入(2007/9/29)
河野勝男の自宅位置についての新しい記事はこちらです。

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コメント

私も、「海の仙人」、書いちゃいました(^_^;)

投稿: まちこ | 2007/09/07 15:18

ハハハ!
書かれた後で言うのもインチキくさいのですが、絶対書かれると思っていました。
今まで色々な書評を拝見して「海の仙人」だとどのような事書かれるのか興味がありまして・・・ さすがに読み慣れていらっしゃる。感服しました。

投稿: プル | 2007/09/07 23:17

うーん、想定内でしたか。
河野のあだ名になってる「イナズマン」(石森章太郎原作の変身実写もの)のことも書こうと思ってたんですが、長くなるのでやめました。
幼少時に見たものの印象は、忘れたようで残ってます。

投稿: まちこ | 2007/09/08 01:31

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