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2008/04/17

人道の港・杉原千畝。

先日フジテレビ「とくダネ!」の「新・温故知人」のコーナーが杉原千畝(すぎはら ちうね)だった。
敦賀港に展示コーナーがあったのを思いだし出かけた。

Img_1044「人道の港・敦賀ムゼウム」ムゼウムってなんだ?宗教施設かと思われるようなネーミングだけれど、[PORT OF HUMANITY TSURUGA MUSEUM]ミュージアム、ポーランド語でムゼウム。(納得)
写真はクリックで拡大します。

杉原千畝は第2次大戦中の外交官。政府の命令に背きユダヤ難民にビザを発給し六千人を救ったと伝えられている。

1940年(昭和15年)リトアニア・カウナスの日本領事館に大勢のポーランド系ユダヤ人が押し寄せた。ナチスドイツの迫害から逃れるため日本を経由して米国などに渡るのが目的だ。
当時の外国人入国令の条件を満たしていない彼らユダヤ人には、日本通過ビザは発給できない。しかし、人道的立場から訓令違反を冒してビザを発給したのが領事代理・杉原千畝である。

カウナスでビザを手に入れたユダヤ難民は、シベリア鉄道でウラジオストクへ。
ウラジオから船で敦賀に着いた彼ら難民は、汚れた服装で持っていたトランクの中は空っぽ。シベリア鉄道の車内ではソ連の秘密警察に金品を強奪され、シベリアへ強制労働に連行されたりするものもいた。そんな死ぬような思いでやっと敦賀の港に着いた。彼らの目には敦賀の街が天国に見えたかもしれない。

でも皆が天国に見えたわけではない。ユダヤ人の夫だけが敦賀に着き、妻はモスクワで足止めされたまま。敦賀の街で夫は何日も妻の到着を待ち続けるが現れない。
夫のアメリカ行きが迫り神戸港へ・・・。切ない。(参考:昭和15年6月。朝日新聞)

敦賀ムゼウムでいただいた資料にはユダヤ難民の様子が書かれている。
これから先はプル的表現で書く。

港に降り立ったユダヤ難民(以後彼らと表現)は、長い間着替えどころかシャワーも浴びずにいたためひどく惨めで汚かった。揺れる船の中で激しい船酔いや吐き下しをしたもののいたのだろう。
港の近くの銭湯の主人は彼らの姿を見るに見かねて無料で浴場を解放した。
まさに敦賀のまちが天国に見えたはずだ。
空腹の彼らに食べ物を与えた市民もいたという。
やっとの思いで隠しもっていた時計や指輪を食べ物に換えた難民もいた。
思いでの品(宝)を食べ物に交換する彼らの心中を察すると涙が出る。
敦賀ムゼウム「杉原千畝コーナー」に展示されている婦人物の腕時計。
敦賀市内の時計店がユダヤ難民から買い取ったものだ。
金のケースは戦時の供出に出したためオリジナルではないものの、文字盤やムーブメントは実物。TECHNOS swiss MADE 15JEWELS
1945年の敦賀空襲で時計店は焼失したがこの時計は辛うじて残った。

敦賀港・金ヶ崎埠頭に降り立ち「赤レンガ倉庫」前を市内に向う彼らの姿が目に浮かぶ。

「私を頼ってくれる人々を見捨てるわけにはいかない」と政府の命令に背きユダヤ難民にビザを発給した杉原千畝。そこに彼の人間愛がある。杉原千畝に関しては岐阜県に「杉原千畝記念館」がある。詳しくはそちらを見てください。

「敦賀ムゼウム」内は写真撮影禁止。現在サイトもない。
展示協力金として100円が必要(高校生以下無料)

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コメント

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 伝わる履歴書 | 2014/07/05 10:37

ありがとうございました。

投稿: プル | 2014/07/07 23:34

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