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2008/06/15

こだわりをもって生きる。

秋葉原通り魔事件。

秋葉原通り魔殺人事件。や秋葉原無差別殺傷事件。というふうに「殺人」や「殺傷」という言葉を挟む方もいる。
あまり使いたくない言葉である。

こういう事件があると多くの人がにわか評論家になり、話題にしなければいけないかのように話し出す。
新聞やテレビで聞いたことを繰り返し言うヤツ。
「こわいねー」を繰り返すヤツ。
犯人の行為を批判し自分は正しい人といわんばかりにまくしたてるヤツ。
そしてこういう事件が起きる世の中を批判する。
そして多くの場合、客体としてそれを捉えている。

「この事件のようなとんでもない行動に出る人が出る世の中、力強くて柔軟な禅の心のように云々・・・」と言う記事が目に止まった。(中日新聞13日付・地方版)
ある僧侶の展覧会の記事だ。
「力強くて柔軟」フンフン、俺の筋肉のようなことか?分かるようで分からない。

「『まっすぐいこう』『こだわらない』などと禅の心をわかりやすい言葉でつづり・・・」
っておいおい!言葉は簡単だけれどその意味する部分は難しいぞ!「まっすぐに、こだわらずに犯罪を起こした」っていうのはどうだ。

これは記事の書き方が悪いのだろうか。
下ネタにしかとれないなんてのは・・・イカンイカン。

*6月15日追加記入
昨日の記述は新聞記事から感じたままを文字にしただけ。
作品展は自分の目で見ないといけない。「こだわらない」のではなくて「こだわりたいんだよ」と僕は感じた。
この作品展(一言展)を秋葉原の事件に結びつけた事自体に無理があった。
作家との間でそのような話題が出たとしても文章(記事)にする場合、無理やりタイムリーな事象と結びつけると不自然なものになる。

15点ほどの作品をみて感じたのは作者は言葉を与えているだけではなくて、自身にも言い聞かせているようにも感じた。
いくつかの問いかけもあるけれど僕にはうまく答えることが出来ない。
「しあわせですか?」と問われても「しあわせですよ」なんて返答できない。
後にひどく不幸な出来事が起きたとして「あの頃は幸せだったなー」とたとえ思うようなことになったとしてもだ。

「こだわらない」実際の作品では「いならわだこ」と右から左に毛筆で色紙に書かれている。「稲藁(いなわら)ダコ」ってなんだなんて思っちゃいけない。音転倒(メタテシス)しているじゃないか。
これは常識・既成概念(固定概念)といったものに「とらわれない」ということじゃないかと思うんだよ。

余談だけれど先の新聞記事を書いた記者、すぐ下の記事で*「顔をほろこばせていた」と書いている。こういういい方もあるのかと思っちゃうだろ!勝手に音転倒しないでほしい。

同時展示されている「花入展」流木や竹を利用した花器に野の植物を生けてある。素朴でなかなか趣があった。水が足らないのかしおれたアジサイが侘しいのもいい。
「アジサイが雨(水)をもらえず項垂れる」なかなか梅雨に入らないので庭のアジサイがうなだれている。

*6月13日付・中日新聞福井県嶺南版16面

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