2008/10/06

ウ〜ム 困った。どう読むのだろう。

ちょっと古い話題になりますが、先週、国会中継を見ていた時、霞ヶ関埋蔵金に関する発言で麻生総理の言葉に「埋蔵金の有無」というのがありました。総理は「有無」を(ゆうむ)とおっしゃたので「えっ?(うむ)だろ」って思わず言ってしまったわけですが、もしかしたらムカシニンゲンは(ゆうむ)と読むのだろうかと思い調べてみました。

三省堂「新明解国語辞典」・旺文社「国語辞典」共に(ゆうむ)はありません。
岩波書店「広辞苑」では(ゆうむ)はありますがその説明は「あることとないことと。うむ」と書かれているだけで、(うむ)の方に詳しい解説が書かれています。
漢検「漢字辞典」には(うむ)と書かれています。

「有」のつく言葉を考えてみます。例えば「有頂天(うちょうてん)」(ゆうちょうてん)とはいいません。
「有象無象(うぞうむぞう)」も(ゆうぞうむぞう)とはいいません。
「有徳(うとく)」これは(ゆうとく)で広辞苑にもあります。(ゆうとく)で*変換もできます。先の漢検「漢字辞典」によると「(ゆうとく)とも読む」と書かれていますが、「有無」には「(ゆうむ)ともよむ」とは書かれていません。
「有」は中学校で学習する音訓となっていますが(うむ)(ゆうむ)どちらの読みでおしえているのでしょうかね。
おそらく(うむ)と読むようになっているとは思うのですが・・・
(ゆうむ)はあまり使われない化石的読み方でしょうね。
「有無を言わせない」を(ゆうむをいわせない)というのはちょっと言いにくいですね。早口だと(ゆうむをゆわせない)になってしまいます。

「有無」の読み方について日本漢字能力検定協会に聞きました。
「漢検『漢字辞典』に記載されている読みを回答の基本としています。」ということです。ただ、判断に迷う場合は審議するとのことです。通常は判断に迷うような例題は問題を作る時点で避けているともおっしゃっていました。
僕の判断ですが「有無」は(うむ)と読んだ方がいいように思います。もし漢検で出題されたら(ゆうむ)は×になる可能性があると思われます。

「水上勉/停車場有情(うじょう)」という本があります。この場合、「漢検『漢字辞典』」には(うじょう)・(ゆうじょう)どちらも記載されていますのでどちらを使ってもOK!ということでしょう。水上さんはどちらの読みをされていたのでしょうね。

*インプッドメソッド(ことえり4)

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2008/07/08

帰国子女的・・・文学。

時々翻訳ソフトを使う。
日本語で書いて英語に直す。その英語にした言葉をもう一度日本語に変換すると、当然といえば当然なんだけれど元の言葉とかなり違った表現になることがある。
もともと正確さを欠いた日本語だから正確さを欠いた英語になる。
正確な日本って・・・そんなことはどーでもいい。
そんな作業を思いだしてしまった文章について今日は書く。

米文学翻訳家でもある作家・村上春樹が翻訳を再翻訳した。などと書くとこんがらがるけれど、帰国子女的吉行淳之介文学という春樹の言葉にちょっとニャッとしてしまった。
講談社文庫『やがて哀しき外国語/村上春樹』・「さらばプリンストン」の中のお話。
村上春樹(以後春樹と記す)がプリンストン大学で現代日本語文学を教えている時の出来事。

一人のアメリカ人学生が吉行淳之介『樹々は緑か』を取り上げ論じた。しかし春樹はその作品をずっと昔読んだきりで、その内容をほとんど何も覚えていなかったので再読することにしたのだけれど大学の図書館の『樹々は緑か』は貸し出し中になっていた。そこで学生から英訳本を借りて読むことになった。
その英訳版はかなりきちんとした丁寧な翻訳だったが「これをもう一度そのまま日本語に直してみたらいったいどうなるんだろう」ということで翻訳を再翻訳した冒頭の部分を披露している。
こういうことができるのも春樹ならではのことで、原文(日本語)と並べられたその帰国子女的吉行淳之介文学を興味を持って読み比べ(見比べ)てしまった。

再翻訳の感想を次のように書いている。「原文では過去形と現在形が混合しているが、英文ではそれができないので、ぜんぶ過去形になっている」また「漢字の醸し出す字ヅラの『気分』が出ていない」とも書かれている。

ほんの数ページのことだけれど、こんなことやる作家はいないよね。(いるかもしれないけれど、敢て文章にする人は知らない)いないから僕は面白かった。

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2008/07/05

どのように使ってもぜんぜん平気。

「何を言われてもぜんぜん平気。」
この「ぜんぜん(全然)」の使い方についての疑問はあちこちで色々言われています。
「否定表現に使われると思っていたのに、最近は肯定表現に使われる事が多くなったように思う」といった具合です。

二十数年前には「全然いい」などというような表現は今ほど使われていなかったように思うのですが、どうでしょうか?

文豪と言われている方達も肯定の表現に使ってきたそうなので、まちがいではないのでしょうが、現代人が会話の中で肯定表現として多く使うのを聞いていると、言語センスがあまりいいとは思えません。「こういう表現も全然OK!」んなわけないだろー!「こういう表現は全然ダメ!」どちらでも使えるんですからスゴイですねー。
言葉の着こなしというのも変な表現だけれど、前後の関係を無視してやたらめったら「ぜんぜん」を連発されると「オイ!大丈夫か」って思ってしまいます。

新潮文庫「村上春樹・安西水丸『ランゲルハンス島の午後』」の中で次のように使われています。

人を待たせるのもぜんぜん平気だった
もう一例は講談社文庫「村上春樹『やがて哀しき外国語』」の中で
日本に比べたら家の値段がぜんぜん安い
と使われています。二例目は比較表現でもあるのですが、こういう使い方も最近はよく見かけます。
現代作家がよく使うようになったからなのか、周りでよく聞くから作家も使うようになったのかは分かりません(本をほとんど読まない僕には分からない)・・・
すみません、いつも村上春樹で。なんだかすごーく偏っているのは意識しています。

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2008/06/18

真っ赤なウソ!

「問題な日本語」北原保雄編(大修館書店)の中に「真っ茶」という表現は誤用なのかという部分がある。(64ページ)
質問には「水が真っ茶色になった」という例文が掲げられている。

結論として「真っ茶」は誤用ではないとなってはいるけれど、いかにも辞書の編者的な解説がなされている。

色の表現を色の理論抜きにした、いささかお寒い解説ともいえる。

「『真・まっ』という接頭語の類は<ほんとうに>とか<かんぜんに>といった意味を加え、程度を強調するもの」という同書の解説をもとに考えてみます。

「真っ赤」「真っ黒」「真っ青」などといういい方はよく使われるけれど「真っ茶」はどうだろう?

ちょっとした実験をしてみます。
ここに絵の具があります。色は「赤」「黄」「青」「黒」「白」
色の三原色の赤・黄・青と無彩色の黒・白の5色です。

では問題です。次に指定する色を塗ってください。
 1. 赤を塗ってください。
 2. 黒を塗ってください。
ここまでは簡単です。
 3. 灰色を塗ってください。
 4. 茶色を塗ってください。
ここで考え込んでしまいます。灰色は黒と白を混ぜれば作れます。人により黒に近いか白に近いかはあると思いますがなんとか灰色は塗れます。
では茶色です。これは悩みます。「そんな色どうやって作るんだ」という声が聞こえそうです。先の5色から作れますが、その配合比率は人それぞれだと思います。たとえば黄に赤を少し加えて「茶色」と言う人もいるでしょう。黄と赤と黒から「茶色」を作り出す人もいるでしょう。そこには「茶色」という決まった色の概念というものがないのです。人それぞれの「茶色」があるわけです。

「真っ茶」を許せば「真っ灰」もいいことになります。先に述べましたが白に近い灰色や黒に近い灰色を思い浮かべる人がいて「灰」の概念が曖昧なのです。同じことが「茶」にも言えます。じゃあ「赤」や「青」なら問題ないのかと言われる方もいらっしゃるでしょう。「黒っぽい赤」や「白っぽい青」もありますが一般的に「赤」と言えばイメージする色に大きな差はないのではないでしょうか。多くの方はそんなに違った色を思わないだろうと思います。(かなり曖昧なのですが。)

日本色彩事典によると、
赤→赤系統の総称
黄→黄系統の総称
青→青系統の総称
茶→暗い灰黄赤を中心に明度および彩度の低い黄赤系統の総称
このように「茶」に関しては黄赤系統の総称という分かりにくい(イメージが困難)表現になっています。

赤は記号で表すと5R4/14となります。これはマンセル記号というもので色相を10に分けています。「5」はその色の中心でRはREDのことです。次の数字は明度/彩度を表します。
茶色といってもイメージしにくいので「チョコレートのような色(人によってそのイメージする色は違うと思いますが)」であれば9R2.5/2.5位でしょうか。明度・彩度共に低い(少ない)数値になっています。また9Rなので黄色の方に傾いています。

書いていて僕もよく分からなくなってしまったのが本音ですが、結論からいえば「真っ茶」という表現は適切ではないと思います。人それぞれにイメージする「茶」の概念があまりにもかけ離れている(あやふやな範囲が広い)色だからです。いいかえれば自分のイメージした色を他人もイメージしているだろうと思っている、自己納得型人間用語でしょう。

通常は色の三原色の赤・黄・青と無彩色の黒・白ぐらいが「真っ」を付けても違和感がないのではないのかと思います。

ふと思ったんだけれど茶色の光や灰色の光ってないよね?ある?

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2008/06/11

イライラする。

あまりにゆっくりと話されるとかえって頭に入らないことがある。
どーでもいいことをいかにも大切なことであるかのように、まるで自分にいい聞かせるような話し方はツッコミどころ満載で、「なにいってんだ!それってちげーだろ!」などとひとり言を言ったりしてしまうもんだから、話が終わる頃にはいったいこいつは何を言いたかったんだ?ってな具合になる。

そんなふうに感じたのは昨日の記事を書いた時に見たSUBARU EXIGAのサイト。
のっけからくそ重いサイトで(うちは光じゃないんだよ)
LOADINDが終わらないとSKIPできない意地悪さもさながら、商品企画本部のゼネラルマネージャ氏のCONCEPT TALKまでが「おまち」をくらい、話しはじめたらそれがスローで、どうせ話に合わせて横に文字も出るんだったら文字だけをポンと出した方がいくらかましというもんだ。

もちろんゆっくりの方が分かりやすくていいという方もいらっしやるだろう。おそらくそんな方の方を向いた作り方をしてあるのだろうけれど、プロンプターを見ながら文章を追うようなスローテンポは鳥肌が立つ。へたくそでも感じたまま、思ったままをダダーッとしゃべり上げてくれた方がまだましというものだ。
まるで会議のレジュメを読み直すようないらだちを感じる。
ま、要するに僕はこの方が生理的に嫌いだというだけなのだろう。
すみませんオオ○○さんには何の恨みもありません。

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2008/02/27

気にならないことば?

NHK「お元気ですか日本列島」の「気になることば」のコーナーは「無洗米」についてだった。
洗ってあるはずのコメがなぜ「無洗(洗って無い)」と書くのか。ということについて。
このことについては以前に書いた事がある。(こちらこちらを参照)

僕も最初は不思議に感じた言葉だけれど、これは「洗ってはないけれどヌカを除いてあるので、炊く時に洗う必要がないコメ」のことだ。
消費者側からみれば不思議な言葉でこれは食品関係(業者)側からみた言葉。

最近の国語辞典には「あらかじめヌカを除くことで炊くときに洗う必要のないコメ」と書かれているらしい。

NHKの説明を参考にすると、「接頭語の『無』=(イコール)〜(何々)がない」例えば「食品関係では『生産者は〜をしていない』」というふうに書くことが出来る。

無着色…(生産者が)着色していない
無添加…(生産者が)添加物を加えていない
無農薬…(生産者が)農薬を使っていない
無洗米…(生産者が)コメを洗っていない?
となり、やはり「無洗米」というのは適切ではないのでは?ということで「既洗米」や「洗浄米」の方が言葉としては分かりやすいのでは?という視聴者の意見も述べていた。
でもこれは最初に書いたけれど消費者側からみた感覚であり、もともと「無洗米」は業者の間で使われていた表現。
生産者(業者)が水でジャブジャブ洗っているわけではなく、BG精米法など、特殊な技術によりヌカを除いてあるだけという意味。

昔はコメは研(と)ぐものだった。それが精米技術の進歩により研がなくても洗うだけでよいようになり、最近では洗わなくても炊くことが出来るようになった。

「無洗米」という業界言葉(用語)を一般消費者向けに使うことになったため、分かりにくくなったのかもしれない。

消費者(我々)はコメは研いだり洗ったりするものという生活習慣があるため、「無洗米」という言葉が違和感を感じるのは、見たままの漢字(文字)と行動との不一致性が影響しているのではないだろうか。

「洗ってはないけれどキレイ(ヌカを除いてある)なのでそのまま炊けます。」とはいってもボウルに無洗米をザーッとあけると洗いたくなってしまいます。
僕はサーッと洗ってしまいますから…。

「じゃあヌカを除いていない通常のコメも無洗米じゃないのか」などと言っていじめないでください。

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2008/02/20

NHK的忌み言葉。

NHKのクイズ番組で結婚を祝う時の忌み言葉について出題があった。
その中で「益々」という言葉は使ってはいけないと説明していた。
理由は、このような繰り返す言葉(重ね言葉)はよくないということで、婚姻を繰り返す(再婚)というようにとれるので、使ってはいけないらしい。
よくもまあアホらしい言葉を探し出してきたものだとつくづく呆れてしまう。

縁起が悪い言葉を使うと不幸を招くというのか。
結婚生活がダメになろうがそんなもの本人たちの問題であり、回りの人間がどのような言葉使おうが知った事ではない。
言葉が現実とシンクロするなんて事はありえない。
神社で「○○大学に合格しますように」と声を出してお願いすれば必ず合格するのか。
ありえないことだ。

NHKでは「益々」は「なおいっそう」と置き換えた方が良いとの事だが……なおいっそうバカバカしい。
本当に婚礼の場で使ってはいけないのか。
結婚式で述べる「講話集」というのがある。
その中には「ご両家、ご親族各位の益々の彌栄(いやさか)を御祈念申し上げて……」という用例がいくつかある。
結婚式の招待状の文例、たとえばこちらこちらにも使用されている。

*祝詞(のりと)ですら「家門広く家の名高く いや益々に立ち栄えしめ給えと 恐み恐みも白す」などと使う。
NHK! これを、どー説明する!「恐み恐み」も繰り返しじゃないか!

*祝詞/言葉には霊力が宿り、口に出して述べる事により、この力が発揮されると考えられている。言葉の霊力(言霊)に対する信仰が根底にある。

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2008/01/21

頭文字 H

頭文字略語。
例えば*KYやAYやPKといった俗語。
どこから湧いてきたのか知らないけれど、10年後に生き残っている可能性は低い(たぶん)
そーいえば昔からあるH(エッチ)という略語はスケベやいやらしいなどと言う意味だけれど、そんな意味を今更言うまでもない。
「Hなヤツ」のことを「鉛筆男」と思ったり「水素頭」などと思う人はいない。
ところでHって何の頭文字だ?
僕の持っている広辞苑(第二版)にはHのそれらしき意味は載っていない。
たしかどこかに書いてあったと思うのでちょっと探してみる。

 ガサゴソ・・・(15分経過)

「東海林さだお/もっとコロッケな日本語を」の224ページに書いてありました。
氏の手元の広辞苑 (8)「『変態』のローマ字書きhentaiの略・性に関する言動が露骨なさま」と書いてあるらしい。いったい第何版なんだ。
とにかく最近は広辞苑にも認められたHである。hentaiから時を経てその周辺にある行為をも包括しちょっと肥大化した。

KYやAYやPKに今後オプションは付くのか?
*KY(空気読めない・空気読め)AY(頭弱い)PK(パンツ食い込んでる)

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2007/11/29

誰の話しかも・・・・?

PCに向っていきなり書きはじめたって頭の中になにもないものだから、時間がかかるのは当然のことで、よその猫が侵入したとか、埋もれている親知らずが疼くなどと書きはじめても「やっぱりヤーメタ」というパターンが時々おこる。
そんなわけでこういう書き出しをした今日もテーマがないということだ。

Img_0858巷間の雑誌もここ数ヵ月目にしていないからテレビとネット上の情報だけで生きている。
雑誌は買っていないけれど、先日「フォルクスワーゲンの真実」というモノ・マガジンから抜粋して製本したものを手に入れた(無料)
その中に

誰の話しかも本当か嘘かも失念したが・・・
と言う部分があり読み違えていた。著作権上そのままの文章を書けないのが残念だけれど、前後の関係からみてもすんなり読めない場合もある。特に僕のような読解力のないものにはつらい。
「だれのはなし しかもほんとうかうそかもしつねんしたが」と読んでしまった。「だれのはなしかも ほんとうかうそかもしつねんしたが」が正しいのか。
「誰の話だったのか、それが本当なのか嘘なのか、うっかり忘れてしまった」という意味ならば「誰の話だったか本当か嘘かも失念したが」とすればすっきりする。

話題を変える。
NHKドキュメント「にっぽんの現場」『女性たちの柿(こけら)落し』の番組紹介で「柿」が「かき」の字になっていた。PCの場合フォントの都合上「かき」も「こけら」も同じになるのはしかたがない。(このブログでも「かき」である)
NHKサイトでもゴシックは「かき」である。フラッシュでは「こけら」である。
でもテレビで流す場合正確な文字に直さないと誤字とみられてしまう。
この「柿(こけら)」については以前「こけらでこけた?」で書いたので詳しくはそちらを見てください。

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2007/11/14

流れ。

「川は流れていました」

「県内各国道は順調に流れています」地元NHK夕方の交通情報の言葉である。「国道」が流れるのか?言いたいのは「車の流れ」のことだ。こんなくだらんことにつっこみを入れるのもバカらしいのだけれど・・・・「県内各国道の車の流れは順調です」とすべきです。
先の「川は流れる」はよく使われるし「国道」にくらべたらいくぶん違和感は薄く感じられがちだけれど、これとて流れているのは「水」じゃないのか。などといっていると何か不満が鬱積しているんじゃないのかと言われそうである。

「川の流れのように」という曲がある。もちろん曲名に違和感はない。
美空ひばりが歌う「川の流れのように」は好きではない。なんだかちょっと重い。
生前の彼女の自宅の映像を見た時、こりゃちょっと・・・と思った。
たくさんの動物の剥製。ファンからの贈り物なのか? 剥製、要するに死体に囲まれていたわけだ。

あ、「流れ」の話がとんだ方向に流れてしまった。閑話休題などと入れて本題に戻る気などさらさらない。いつも読んでくださっている方は気がついていると思うけれど、最初と最後ではぜんぜん違う話題になることが多いのが僕のパターン。思いついたまま、まるでリンク先を辿るようなバラバラの展開である。これを「カバーフロー(Cover Flow)展開」という(笑)

「川の流れのように」はテレサ・テンが歌っているのがいいですね。軽くも重くもなく、ちょっと尖った所はあるけれどそれがいいのです。「時の流れに身をまかせ」もいいですね。「別れの予感」が一番いいですけれど。YouTubeなどで見てください。タグ埋め込むと表示が重くなるのであえてしません。ご了承ください。

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2007/11/02

電源が落ちる。

PowerBook G4 12-inchの電源が突然落ちた。
プラグコードが外れていたわけですが、バッテリー不足を知らせる表示が出ずシャットダウン。
その後充電しても25%までしか充電できず、電源コードを抜くと電源が落ちるという現象。%表示までがおかしくなっている。PCとのやり取りができない状態。バッテリー内部のマイクロプロセッサが壊れたのかもしれない。
バッテリーを取り外しPC内の電気を放電させて再取り付けしてもダメ。
バッテリーってこんなに一気に壊れるものなのか?
そういえば最近バッテリーのある右のパームレストあたりがやけに熱かった。それが今は冷たいまま。やっぱり死んでいるんですね。
HDを壊さないうちに新しいバッテリーを購入することにした。
12-inchのHD換装なんて困難な作業だからしたくないしね。
アップルストアで12-inch用リチウムイオン電池15,540円。シェー!高い。
これから冬になると日本海側は雷が多く発生するので、バッテリー駆動が多くなるから必需品です。

今年はデジカメの修理で大枚をはたき、こんどはバッテリーか。などと思いながら昼のNHKを見ていたら布施明が「シクラメンのかほり」を歌っていた。「かほり」だと?ちが〜うだろ〜
「かをり」だろ!と曲名にあたってもしょうがない。作詞の小椋 佳さんが歴史的仮名遣いを知らなかっただけのこと。

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2007/08/24

「今しばらく」の定義?

また暑さが戻ってきた。
処暑が過ぎたというのになんだこの暑さは。体調がおかしくなる。って既におかしくて、腹痛、吐き気、頭痛、それって食あたりじゃねーのか、とも思えるけれど暑気あたり。これだけ暑いのに何も飲みたくなくなるのだから不思議。

昨日のNHKの気象情報で「9月上旬も暑さが続きます。今しばらく暑さに辛抱して下さい」って言っていたけれど・・・
「今しばらく」って都合のいいコトバで、ほんの数秒後に解消される場合もあれば永久にその時が来ない場合もある。
「しばらく」に時間的制約などなく、話を進めるために用いる特に意味のないコトバである。などというのはちとヒドイかもしれないけれど、「今しばらく我慢していただきたい」と使われてその我慢が解消された記憶がない。政治家がこの言葉を使った場合ほぼ永久にその時はこないと覚悟したほうがいい。
自然消滅的にその現象をいつのまにか意識しなくなった時が、そのコトバの指し示していた地点などというのはあまりに寂しいし無責任である。

8月25日追記/NHK週刊ニュースの気象情報で「この猛暑、もうしょっと続くので・・・」 あまりにあほらしいダジャレで笑ってしまった。

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2007/07/21

夏の天敵?

NHKの「クイズモンスター」を見ていたら、「夏の天敵・蚊」という言葉。
はぁ〜??? 「天敵」って一般に「ヘビはカエルの天敵」であり「カエルはヘビに飲み込まれる」・「ヘビはカエルを飲み込む」というふうに受動と能動の関係(動作・作用)を表すもの。
夏は蚊にヤラレてしまうのか?
まあ、いい。のっけからずっこけたけれど。

で、出題が「蚊に刺された時『かゆみ』を和らげる方法は?」というもの。
正解は「じっと見守る」というもの。へっ?「蚊に刺された時」っていう表現、現在進行形だったの?「蚊に刺されている時」または「蚊が血液を吸っている時」というふうに理解しなければならなかったのね。
説明では「蚊は最初に麻酔作用のある唾液を注入してから皮膚の奥まで針を刺し血液を吸い上げ、最後にカユミの原因になっている唾液も回収するため。」という説明だった。
刺されているのをじっと見ているなんて、通常の神経では無理でしょ!だいいちいつの間にか刺されていてカユミが出てから分る事の方が多いでしょ!
だからこの出題の「蚊に刺された時『かゆみ』を和らげる方法は?」と言う表現自体に無理がある。知らないうちに刺されていた場合は「じっと見守る」と言う行為に近いと思うのですが「和らげる方法」と言う部分が(表現上)逃げています。

麻酔作用のある唾液でアレルギーを起こしかゆくなるんですね。麻酔作用が先に効き後にアレルギーを起こすと解釈すればいいのでしょうか。
血液凝固を防ぐ液を注入するから、その液がカユミの原因になると僕は理解していました。今日の番組では血液凝固を防ぐ物質には触れてはいませんでした。

Healthクリニックさんのサイトで蚊に刺されたときの事が書いてあります。リンク先のことを言うのもなんですが、見出しが「夏の風物詩『蚊』に喰われたら」となっています。「喰われる」って時間の観念が麻痺しています。動作と状態の捉え方が間違っています。蚊に血を吸われている時間は瞬間ではありませんが、それに近いものと捉えていいでしょう。だから「喰われる」ではなく「刺される」の方が適切です。

*いつも書いている事ですが、番組を録画したものを見て書いているわけではありません。いいわけがましくなりますが、今日は食事をしながら見ていた(時には咄嗟にメモを取れる場合もある)番組を思いだしながら書いているわけです。間違い箇所、表現等ありましたらご容赦下さい。また、ご指摘いただければ幸いです。

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2007/07/17

「この」「その」

台風が過ぎたと思ったら今度は地震。大きな災害のニュースが続きました。

このたび「新潟中越沖地震」により被災に遭われた皆様、心よりお見舞い申し上げます

さて、最近ニュースで使われる気になる「ことば」があります。
 「今朝のこのほか(他)のニュースです」という言い方です。
先週の土曜の「NHK週刊ニュース」を見ていてひっかかりました。
この「このほか」という言い方は以前はあまり使われなかったように思うのですが・・・
「その他のニュースをお伝えします」といった表現だったと思うのですが。

このほか」という言葉がどうもすっきりしない。「その他」の方がいいのではないか?
「この」と「その」では対象になるものまでの距離が違う。
「この」はかなり近くのもの。例えば今この文章を打っているキーボードは「このキーボード」だ。「そのキーボード」ではない。
「この(此の)」「その(其の)」辞書で調べると「此の→自分の手に触れるほど近くにあることを指示する」「其の→話し手が手に触れにくいほど離れ、相手からは遠いとは考えられないような位置にある事を指示する」う〜ん解りにくい書き方だがちょっとだけ離れているということだ。
書き方が前後するけれど「この」や「その」は直前に言った言葉(ニュース)を指す。
ただ、「その他のニュース」と言った場合「その」は直前に言ったニュースだけではなく、「その」は既に(直前に)言ったニュースよりもこれから伝えようとしているニュースの方を向いている感覚もある。もちろん先に述べた事柄があるから「その」を使えるわけですが・・・

余談ですが「此の方(このほう)」と「其の方(そのほう)」といった使い方。なんだか時代劇みたいですが、「此の方」とは自分の事です。(我・俺) 
「其の方」とは(おまえ)のことです。共に目下のものに対して用いる言葉と辞書にはあります。
この用例ではあきらかに距離感が出ていますね。
距離感のついでに例をあげます。
I like that book better than this(book).
「私はこの本よりもその本のほうが好きです」

今朝の「NHKおはよう日本」では「次は年金問題です」というふうに切りかえていた。
または「次に・・・」という具合だった。この方がすっきりしている。

また変な事書いてしまった。感覚の麻痺です。上記は間違っています。間違っている事をいかにも理屈をこねて正しい事のように書くのは疲れます。だからこれを読んで「なるほど」なんて絶対に思わないで下さい。思う人などいないか。いないよね。

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2007/07/08

言葉のコラージュ。

この一週間を振り返った出来事をテレビで放送していた。
久間前防衛相の発言が流れていた。
はたして彼は「原爆投下しょうがない」と言ったのか。これがずっと頭の中にあった。

7月1日の中日新聞には「『原爆投下しょうがない』久間防衛相が発言」という大きな文字が第一面に。いくつかのサイトも同じタイトル。
とんでもないことを言ったものだ。と怒りが込み上げた。

後に久間氏は「原爆の問題はたとえ話や例示として適切ではない(中略)私の説明がまずかった」と釈明した。

僕はふと思ったのだけれどマスコミや野党がこの問題を「原爆投下しょうがない」という言葉一括りで提示している事に疑問を感じていた。

メディアの力は大きい。「こんな事を言ったんだ。なにっ、それはけしからん」その「けしからん病」が一気に蔓延した。
どこもかしこも「けしからん」一色になった。こうなるともう手が付けられない。
参院選もひかえている。結局、久間防衛相は辞任ということになった。

「原爆投下しょうがない」という言葉は久間氏の講演で述べた言葉を中略して繋いだものだ。こういう見出しは問題がある。真意を理解もせず継ぎはぎされたんじゃたまったもんじゃない。僕が今日テレビで聞いたかぎり「・・・あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないと思っている」と聞こえた。見出しに使われていた言葉とずいぶんニュアンスが違う。これを「原爆が落されてもしょうがない」と訳するにはあまりに短絡的だ。
ここの部分は「(自分の)頭の中の整理をするしかしかたなかった」ともとれる。そうなるとずいぶん報道の見出しと違う。

話の中でいつも適切な言葉が出てくるとは限らない。後で考えるとマズい表現という場合もあるだろう。脇が甘いからだとおっしゃる方もいるだろう。でも解らない時は説明を求めその説明に耳を傾ける努力も必要だ。
氏の釈明にたしか「誤解」という言葉があったように思う。辞書では「事実や本人の意思とは合致しない判断をくだすこと。また、その判断」とある。

マスコミや周りの言葉に一片の懐疑もなく躍らされるのは僕の本意とするところではないけれど、今回やはりそれにつられていた部分がある事を今、反省している。

言語表現力より言語理解力が劣っていた部分があるのじゃないのか。そんな風に思っている。

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2007/07/06

どんど晴れ・チゴハヤブサ。

昨日NHKお昼のスタジオパークを見ていたらゲストは白石美帆さん。連続テレビ小説「どんど晴れ」で「彩華」役。ちょっと恐いというか生気のない不気味な表情をみせる。彼女の背後に響く鳥の声「キキキキキキッ」と聞こえる。「ケケケケケケケッ」とも聞こえる。その中間のような声だけれど僕はモズかヒヨドリの声をサンプリング加工したものだと思っていた。でもあの鳥の声は「チゴハヤブサ」だということです。
鳴き声は「ことりのさえずり」さんのサイトで聞くことができます。
でもよく聞くと、やっぱり番組中の鳴き声は加工してあるように思えるのですが・・・

一昨日のスタジオパークのゲストは由紀さおりさん。
彼女の言葉の中に「姉に勝てるじゅつがなかった・・・」と話していた。「じゅつ」?「術」?
忍者ですか? 「すべ」でしょう?「姉に勝てる術がなかった・・・」

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2007/06/11

なにが言いたい!

NHKダーウィンが来た!を横目で見ながら他の事をやっていたら「次の胃の腸を育てます」と聞こえた。
ん???。「胃の腸」って・・・。
ま、ちょっと考えたら分るんですが「次の命を育てます」と言ったのだろう。
よく変な聞き間違えをするけれど、ナレーターの発音もあまりよくない事は確か。

次は川嶋あいのメールマガジンから

・・・なーんて妄想は綿密にしちゃいます笑 何事も綿密にね!・・・
妄想を綿密にするわけですか?よく解りません。僕は妄想を綿密にした事がないので・・・。厳密にも詳蜜にも精密にも緻密にもしたことはありません。人によってはかなり細かく想像してしまうものかもしれませんが・・・。
秘密にならうーん?したことあるかもしれない。ま、妄想なんて口に出さないから秘密なんだけどね。
とにかく川嶋は綿密に妄想をするわけです。細かいところまで考えて、欠点・見落としなどがないように、あれこれ想像した事を事実であるかの如くかたく信じてしまうわけです。
ちょっと疲れる。

@niftyのwebメールを開いたら夥しい量の、世間でいうところのエロメール。
必要なものを選り分ける。ちょっと疲れる。
あれ?いつも「こんばんは○○さん」と名前が入っていたのにIDに変わっている。
仕様変更があったのか? オプション→カスタマイズ→差出人設定で変更。
いくらなんでも「こんばんは『ID番号』さん」では味気ないよ。これで「こんばんはプルさん」になった。

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2007/04/01

木の花(桜)咲く。

今朝NHK「富士山・神が宿る山」を見た。
富士山頂には富士山頂上奥宮がある。富士山本宮浅間大社の奥の宮だ。
御祭神は浅間大神・木花之佐久夜比売命(このはなのさくやひめのみこと)で、とてもキレイな名前です。由緒書きによれば

大山祇神(おおやまづみのかみ)の御息女にして大変美しく、天孫瓊々杵尊(てんそんににぎのみこと)の皇后となられた御方です。 (読みがなはプルが挿入)
ということだ。
大山祇神は山の神様ですね。木花という名から桜がご神木だそうです。
木花之佐久夜比売命(木花咲耶姫神とも書く)名はキレイだけれど容姿はどうなのかは分らない、だけどうーん・・・名前だけで神棚に祀りたくなりますね。

さて、放送では「古くより富士山には神様が宿ると信じられてきました」と言う表現。
「信じられてきました」とすると。「じゃあ今はどうなんだ」と言いたくなる。
「山頂には神様が祀られています」と言葉が続いていたが、先の言葉との関連性がとれていない。神様が祀られているのなら、「神様が宿ると信じられてきました」ではなくて、「神様がいらっしゃいます」となるのだが「じゃあなぜいると言えるの」ってなってしまう。証明できなければ言葉は嘘になる。難しいよね。

4月1日。今日はエイプリルフール。フ・フ・フッ!

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気がついた事、気になった事。

ダイソーで買った卓上型カレンダー、4月が二枚ある。
予定を書き込んでいて「あれっ?」と思った。
まっ、足らないよりはいい。
こんな場合、4月が欠落した商品が市場に出た可能性がある。
「あれっ?4月がない!」不運である。


大学から定期的にくる同窓会誌の中に同期生の文章があった。

さて、私は文学部の出身であるから、社会福祉に関してはまったくの素人であり、何かと戸惑うこともあるが、逆に教えられる事も多い。
というもの。変ですよねこの文章。「変ではない!」 あっそう、変じゃないそうです。
国文学を専攻し大学で教鞭をとっている方の文章だからあえて指摘する。もう一カ所
むしろ○○大学の伝統に新しい灯がともされたと言えるように思う。
なんともすっきりしません。そして次のような文章が続く。
たとえて言うなら、○○学舎の「ますらおぶり」に対して△△学舎は「たわやめぶり」である。
男女共学なのだが、あまりにも個性的すぎるたとえだ。僕も出身者だから雰囲気から言いたい事はあるていどわかる。でもこの表現には・・・知らない人はギョッとするかもしれない。それにしても他のたとえが出来ないものかと思った。

○○学舎にはりっぱな男性のような女性?がいるのか。う〜ん、あの、そのぉ〜ちょっとコワイのですが。

△△学舎には優美な女性のような男性?がいるのか。ちょっと見てみたい。そのての方面の人には興味を持たれるかも?

*「ますらお」:弱音などを吐かない、りっぱな男性。
*「たわやめ」:(たおやめ)優美な女性。
                  新明解・国語辞典

僕は○○学舎出身で男だけど「りっぱ」かと言われると、そうだとはいえない・・・。こんな事を書いているくらいだから。

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2007/03/25

天気。

フジテレビ「とくダネ!」先週の金曜日の放送で、天気キャスターの天達武史さんの言葉。

「火の元、のど元に注意して下さい」
この日は乾燥注意報が出ていた。言いたい事は分るが「のど元に注意」というのは、「のどをかっ切られないように気をつけろ」といっているようでコワイ。
「乾燥していますので、体調管理に気をつけて下さい」ということが言いたかったのだろうが、言葉を端折りすぎ。先の「火の元に注意」だって「乾燥していますので火の取り扱いにはご注意下さい」と言うべきだろう。

小倉キャスターはいつも「アマタツ〜」ってよぶけれど、もうすこし丁寧に紹介してもいいんじゃないか?といつも思ってしまう。

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2007/03/12

たかが水・・・。

議員会館事務所の「光熱水費」をめぐる松岡利勝農林水産相の発言は、自己保身に汲々とする政治家そのもの。
アブラ汗タラ〜リなんでしょうな。
9日の閣僚会議後の会見での松岡農水相は「今、水道水を飲んでいる人はほとんどいない」とおっしゃった。東京の水はそんなにヒドイものなの? それとも日本中の水道水の事? 表現が変です。水道水を生では飲まないと言う意味だとは思うのですが、この表現だとお茶やコーヒーも水道水で入れたものは飲まないとなります。いゃそれどころか料理全般(口に入れるもの)に使わない。となってしまいます。水道水を飲んでいる国民をバカにしています。
ご自身は1本5千円もする水を飲まれているそうですが、美味いんでしょうなー!歯磨きの後もその水ですすぐのでしょうか、そういうものは嗜好品と言って「光熱水費」に含む事はできません。不隠当な言辞です。
水道水は臭いアブラ汗を洗い流したり、糞を下水に流し込むためだけのものではありません。

日本の川は急峻で水は一気に海に流れ込むと言われます。
昔から田に水を張る事で大地の保水を得てきました。現に休耕田や荒れた田の近くでは井戸水や湧き水の枯渇が発生しています。大切な水資源と農業を守る事がお仕事のはず。「ナントカ還元水」などと言っている場合ではないのです。

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2007/03/06

発想。

今日は啓蟄(けいちつ)。冬の間じっとしていた虫たちが出てくるというが、昨日までの春の暖かさから一変、真冬の寒さとなった。
参議院予算委員会質疑でもお寒い答弁が続いている。

特に柳沢大臣。声も聞きたくない。時間稼ぎの答弁はお呼びじゃない。
昨日、安倍総理は人口減少のなか「イノベーション」により生産性を高める。と何度も発言されていた。
なにかと横文字が好きな方だが、「美しい国、日本」を謳うのなら端的な日本語で表現してほしいものだ。
今までも技術革新により新たな価値を生み出し生産性を上げてきたわけだし、いまさら総理に言われなくてもその方向に進む事は予測できる。

高市早苗イノベーション担当大臣は「『技術革新』という狭義の概念ではなく」と述べているが「技術革新」が狭義の概念なのかどうかは与党の独自の解釈によるものです。
「2025年をゴールとしてそれに向って挑戦を行っていく。還元されるのは国民。安心・安全、将来健康な社会をつくる事にだれもが賛同できるのではないか」と今朝、述べていたけれどそれはあたり前の事であり、結果だけでなくそこまでの過程も大切なのです。

当時の総理がイノベーションを強力に推進した結果、生産性が向上し産業競争力が強まりはしたが、社会的変化がプラスにだけ働いたわけではない。そのぶん労働力が不要になり失業者が増大した。なんてことになったりして・・・。

イノベーションに関連する事として、シーズとニーズについて書きます。
シーズ指向は無駄な技術の「シーズ」=「種」と思う方も多いようです。
技術の種がつくられてから、使い道を考えるためだと思います。
ニーズ指向とは解決するべき事柄が存在し、それを乗り越えるための必要な技術を作り出す事を言います。
どういうわけかシーズ指向は嫌われているようです。シーズ指向は、使われずに終わる無駄の多いもののように思われているからでしょうか?種の作りだめも必要だと思うのですが・・・。
課題があった方が動きやすい日本人の性格にニーズ指向は合っているのでしょうか?

「ゼロ・イチ指向」と言うコトバが存在するのかどうなのか分りませんが、よく言われる両極端なイエス、ノーといった二進数的なものの考え方の「ゼロイチ思考」とは違います。無いところからものをつくり出す(創造)事を勝手に「ゼロ・イチ指向」と言っています。広義に解釈すればニーズ指向もシーズ指向も含まれるといえます。
解決しなければならない諸問題をブレークスルーするには、新たにつくり出すことも必要なことだということです。
余談ですがPCのパワーボタンのマークはゼロ(0)とイチ(1)をデザインしたものです。(だと思う)二進数で作動しているからですね。

今更イノベーションなどと言っていることじたいが諸外国の真似で「イチ・ニ指向」です。いつも最初に何かありきなんです。

社民党党首の福島みずほ氏の代表質問が本日の最後で、最終答弁は総理。「あいかわらずヒデェーなー」という誰かの声をマイクが拾っていたけれど、今日の会議を総括するコトバに思えました。

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2007/03/03

防御のためのコトバ選び・・・。

思った通り昨日のような内容の文章だと変なTBがつきます。
どのような「コトバ」であっても投稿できるようにコメントおよびTBの規制はしていません。
コメント投稿時に名前とメールアドレスの記入も任意です。
また、公開の保留もしていません。投稿すればすぐに表示されます。
これは「プルことば」の考え方です。
ただ、あまりひどいものが多くなればエントリーによっては今後対処します。

僕が気がついて削除する前に変なTBを踏まないように注意して下さい。

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2007/03/01

動く敬語。

今まで何度か変な日本語については書いた。
NHK「クローズアップ現代」で「あなたの敬語は大丈夫?」ということで放送されていたけど、今更の感もある。レストランやコンビニでのマニュアル敬語について言及していたが文化審議会の「敬語の指針」におぶさったもの。

マニュアル敬語。最初にこれを作った人ってよほど言語センスがなかったのか、使う側も聞く側も言語センスがなかったのか。
外資系のレストランが英語のマニュアルを日本語に直した時に、変な日本語が発生したのではないか?とも述べていた。

「まん延するおかしな敬語」と表現していたけれど「まん延」は僕の年代からすると「蔓延」と表記してほしい。
コトバが変だと感じることが大切で、何も思わずに使ったり使われたりする事に問題がある。
最近は変な日本語には慣れてしまった。一部のサービス業では変なマニュアル敬語の一掃化を進めているとかで、何年かすれば、今の変な言葉も懐かしいコトバになる可能性もある。

「敬語についての知識はあるが話すとうまく使えない。頭にあっても普段使っていないとなかなか口から出ない」とも言っていたけれど、同感です。ぼくもえらそうにこんな事書いているけれど敬語、もちろん使えません。

ゲストは作家の井上ひさし氏だったけど、何を言いたかったのか解らなかった。

*「言葉」「コトバ」と表記にゆれがありますがその時の雰囲気で書いているだけで深い意味はありません。

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2007/02/26

コトバの力。

最近話題になっている「千の風」
さきほどNHK「クローズアップ現代」でも取り上げられていました。秋川雅史氏が歌っているのを聞いてはじめて知った歌です。

直接的というか、お墓参り否定歌などというのは僕くらいだろうけれど、むかしから、亡くなった人は自分の回りにいつもいて、見守ってくれている。とはよく言われる事。でもこの歌のようにあらためてそれを表現し、多くの人に受け入れられているというのはどういう現象が人の心の中におきているのでしょうか。

コトバ(詩)に置き換えた時に、漠然とした形で心の中にあったものが現実味を帯び受け入れられ、そして歌う事でそのコトバの内容が心に響くのでしょうか。
「体はなくなっても私は死んでいません。眠ってもいません。あなたをいつも見守っています」コトバに秘められた力により元気づけられ勇気づけられたなら、それはそれでとても素晴らしい事です。

逆に悪い事、悲観的な事を口に出すと、どんどんよくない方に沈み込んでいきます。あまり信じたくない事ですが日本人の根底にある言霊(コトダマ)の力です。
たとえば「あなたは癌(ガン)かもしれない。などとおっしゃるので検査したら本当にガンが見つかったじゃですか!」などという場合です。コトバを声にするというのはそれ自体コトバに秘められた力の影響だと感じてしまうわけです。
「滅多な事を言うもんじゃない」などと後悔しても遅いのです。

話を「千の風」に戻します。僕はこれを最初に聞いた時ある歌を思いだしました。
「亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう」という臼井真氏の作った「しあわせはこべるように」です。ゾクッとしたあとに涙が出そうになる。そんな歌には秘められた力があります。
「千の風」の日本語詞・作曲をされた新井満氏も番組中(クローズアップ現代)に「亡くなった方の分も自分が生きるということ」とおっしゃっていました。
この二曲、なんだか似ていますね。

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2007/02/22

里山と里海の里。

里山という言葉。近くのバイパス工事の時、完成予想図に添えられた言葉「里山の風景に云々・・・」
個人的には「里山」という言い方はキライ。山里の生活に媚びた感じもするし、とにかく語感を含めて気にくわない。最初に言い出したアホウを肥だめに落したいくらいだ。
そんなことを常々思っていたら「里海」などという言葉まである。
NHK「金とく」という東海北陸限定の番組がある。「里海の四季」と題して伊勢湾「答志島」の人々のレポートが明日あるらしい。
「里海」感覚的にはわかるよ、だけど感覚的に変だよ。
同サイトには「伊勢湾は古事記の時代から人々にとって生業の場・・・」などと書かれている。「古事記の時代から」ね。こんな言語センスだからしかたないけれど。

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2007/02/14

軽いね! とくダネ!

とくダネ!(フジTV)の今朝の番組、
昨年11月。横浜市でトラックに積まれたパワーショベルのアームを電線に引っかけ、街路灯が倒壊。一歳女児が下敷きになり死亡した事故。
「禁固2年10ヵ月求刑に父親は…」というタイトル
あまりの求刑の軽さに「そんなものなの?」と思う。

キャスターの小倉智昭氏のコトバがひっかかります。以下、氏の発言。

クレーン(アーム)をたたむのを忘れたくらいで人が死ぬとは思わなかったんだろうね。
小倉氏もこんな程度の見識だったのです。軽いコトバですね。相手を皮肉っておっしゃるのなら分るのですが、前後の表情を含め被告の擁護のように感じてしまいました。
氏にしてはコトバ足らずです。「被告はたかがクレーン(アーム)をたたむのを忘れたくらいで人が死ぬとは思わなかったんでしょうね。それほど危険意識が低かったんじゃないでしょうか」と言えば問題はありません。
コトバを端折りすぎると本音が見えてきません。だから小倉氏の真意も分りません。
女児が死亡し父親も大けがを負い今も治療中です。
安全管理という言葉はこのままではこの方の中にはないのでしょう。
みんながそんな感覚だったら、事故はそこら中でおきます。そして、「まさか死ぬとは思わなかった」と小倉節です。

*番組中ではパワーショベルのアームの事を「クレーン」と表記していましたのでそのまま使いました。

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2007/02/10

声なき声は聞こえない。

「声なき声に耳を傾ける」
NHK「クローズアップ現代」の国谷キャスターが言ったそのコトバを反復してふと思った。(彼女の番組でこのコトバをいままで何度か耳にした。)
弱者救済コトバのようでもあり、表面的にはきれいな響きだ。
政治家が、聞く気もないのに耳を傾けるポーズだけの戦略用語のようでもある。
「声なき声」ってなんだ?宗教か?新明解国語辞典では(底辺に生きる人たちの意見)と書いてある。
声なき声に耳を傾けたって、何も聞こえないのではないのか。といってしまうのは程度の低い諧謔に思われるかもしれない。
よく似たものに「心の声を聞く」や「心の目でものを見る」などというのもある。綺麗なコトバだね。(うわべだけ)
そんなもの聞こえたり見えたら超能力者である。勝手に想像する事は誰でも出来るけれど・・・。
勝手に想像し、聞こえたり見えたりしたように感じてしまうこと自体がキケン。もう、こうなると妄想であって、ありもしない必要性をでっちあげたりする。
「おそらくこういう事を言っているのだろう」ならまだましな方で「こういう事を言っていた。という事にしておこう」ってなことになる。
「皆様のニーズにおこたえします」あやしいね。ありもしない要望を解決するニーズ指向は必要ない。

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2007/02/08

コトバと情景。

NHK「プロフェッショナル/仕事の流儀」の再放送を深夜に半分眠りながら見ていたら、
「出過ぎた杭は打たれない」というコトバがひっかかりました。

これは以前書いた「波にうたれる」ではなく「出る杭は打たれる」の言い換えですが、バカですね。「出過ぎた杭は折られる」や「出過ぎた杭は倒れやすい」「出過ぎた杭は引っこ抜かれる」などと言いたいところですが、それ以前に「出過ぎた杭は打たれない」というコトバには情景がありません。

打たれないくらい出過ぎた杭って電信柱のようなものでしょうか?
情景を想像する力のないヤツに限って他人のコトバに陶酔しやすいもんです。
一般に「杭」は埋めるのではなく「打ち込む」感覚があります。

広辞苑では(地中に打ち込む長い棒。目印や支柱にする)
新明解では(地中に打ち込んで、目印や支柱にする柱状の木材)

「出過ぎた杭」とは一度打ち込まれたものが何らかの力で押し出されたのでしょうか、(モグラ?地震?)軟弱地盤の杭はぐらついていて弱そうです。それとも最初から少ししか打ち込まれていない杭の事でしょうか。でもそうするとコトバに矛盾があります。打たれないくらい出過ぎている杭を最初どのようにして打ち込んだのでしょう。

以前書いた「その後の『出る釘と出る杭』」は
こちらをどうぞ。

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2007/02/07

社会的で文化的なコトバの選択。

柳沢厚生労働相さん。考えて見ればお気の毒な方です。
おじさんは精一杯考えて話したのでしょうが、発言