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2005/07/15

ふみづき とあまり いつか。

先日の石原慎太郎東京都知事の「フランス語は数を勘定できず国際語として失格」の発言。記事はこちら
常識的に考えれば数を勘定できない言語なんて存在しない。ただ、日本語に慣れた人にとっては他の言語法の数の数え方は難しく感じるものである。
毎日新聞の記事では「フランス語は「70」を「60+10」、「80」を「4×20」などと数えるため、知事の発言はこうした数え方を念頭に置いたものとみられる。」とある。
これを数が勘定出来ない言語だと思うのは石原都知事個人の思うところである。これがフランス語の言語文化なのだからしかたがない。他国の言語に対してとても諧謔とはとれない言葉は適切ではない。
言語は生き物である。今後フランス語も数の表現方法が変わるかもしれない。
日本語だって歴史的言葉を今現在話す人はあまりいない。
今日は7月15日である。(ふみずき とあまり いつか)と表現していたものだ。現在は雅語的表現として用いられているようではあるが。
日本語のように特に若い世代の言葉のようにどんどん変化する言葉は、進化しているとも発展途上とも言える。変化しない言語というものが仮に存在するならば、それはそれで完成された形と言える。でも悪い言い方をすれば「終わった言語」(OSで言えばサポートが終了した今後アップデートもない終わったOS)とも言える。でもこれを露骨に表現するとトラブルになる。
それぞれの国にはそれぞれの言語があり文化がある。たとえそれが自分の気にそぐわないものであっても、貶すのは適切ではない。

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» 文化の差が分からぬ愚者2人 [◆木偶の妄言◆]
石原慎太郎も愚か者(記事)だが、この記事を書いたロイターの記者も阿呆である。 簡単に言えば、石原もこのライターも、相手の文化を理解できない自分の愚かさを棚に上げて、自分に理解できない文化はおかしいと言っているのだ。石原の愚かさはあちらこちらのブログで指摘されているので、僕はこのロイターの記者へちょっとツッコミ。 フランス語における数は言いにくい長い表現になる場合がある。たとえば、直訳すると、「80」を「4×20」、「70」を「60+10」などと表現する。 しかし日本語も、大きな数を... [続きを読む]

受信: 2005/07/16 02:55

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