色覚について。(赤緑色弱)
色覚についてである。色盲検査表などまともに読めた事などない。通常は読めない数字が読めてしまう。よって、小・中学校では「赤緑色弱」と言われそれがどのようなものなのか詳しい説明はなかった。そしてこれが大変な事態を引き起こすとは子供の頃は分らなかった。
進学においてもは一部の学部や科において制限があったり、就職に関しては絶望的なものがあった。
「赤緑色弱」はそう珍しいものではなく、日本人の男性20人に一人いるらしい。
僕はたまに絵も描くので、色には気を使う。赤や緑が見えにくいからキツく表現してしまわないか、色そのもので判断せず、色相、明度、彩度それぞれ数値を確認する。(色の音符みたいなものです)あとカラーチャートを作る。でも色覚が正常な人には僕の思ったままの色が伝わっているかは疑問です。赤い花はほんとうはもっと鮮やかに見えているのかもしれない。緑だってもっと深いのかもしれない。でも通常感じる色をそのまま画材に写し取れば問題はないんじゃないかとも思う。
生活においてはそれほで不便は感じない。カラーの図面やHPなどで見にくく感じる事や学生時代に赤のチョークなどで薄く細く書かれると、絶望的に見えにくかった、というかほとんど見えなかった。
色盲検査表も読めないけれど、目で読まずに知識で解読できるものもある。色相で数字を判別出来るように作成し、他の数字にも見えるように明度を変えた細工がしてあるものは、じっくり考えれば不本意ながら自分の見えているモノとは違う、本来の正解を言う事が出来るものもある。
以前美術関係者から言われた事がある。「色弱だから変った色使いが出来るんじゃない」とんでもない。「足が悪いから変った歩き方が出来る」というのと同じである。
よく使われる「色覚異常者」という言葉。こういう言葉はやはり偏見の対象になる。なぜ「色覚障害者」に統一しないのか。
弱者が不利益を被らない社会作りが必要である。
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コメント
数日前にブログを始めたばかりで勉強中です。これからも参考にさせて頂きます!頑張って下さいね。
投稿: sayaka | 2005/08/10 23:38
はじめまして。「フウラン」を検索していて、ナゼかこちらに辿り着き、そして興味深い記述を読ませていただきました。
我が父の家系に色弱の叔父・イトコが何人かいます。わたしの父と兄は色弱では無いのですが、たまたま、わたしが夫に選んだ人が色弱でした。(彼の家系には全色盲の叔父もいたそうです。)わたし自身、保因子も持たないのですが、他人事とは言えないこの問題。
実は夫はフランス人で、わたしは現在フランス在住です。こちらでは日本のような差別がほとんど無いようで、色覚の異常も小学校でテストを受けた上で「将来は何になりたい?」「コックさん!」「問題なし!」だったそうです・・・。
日本人の中に、色弱であることを隠して生活している方がどれだけいることか。もっとオープンにして生活したとしても、フランスでは問題は無いのです。日本はどうして変われないのか、この国にいてつくづく思います。
夫は、自分が色弱であることを一度も隠したことは無く、それを自分の汚点とも思っていません。(学校で自分が色弱だと友達に話すと、「どんな風に見えるの???」って皆が寄ってきて人気者になれた、とか言ってました。)
色弱が「個性」のひとつとして認識されることを願っています。
(「正しい色覚」という基準など、果たして本当にあるのか?と思うのです。色覚は脳での理解力、瞳での色の解析能力に影響されるものですから。)
投稿: yaco | 2006/03/13 18:35
yacoさんはじめまして。
お国により色弱に対する考え方の違いが分かりました。
どこの国でも同じ扱いだと思っていたのでちょっと驚きです。
日本の企業ではやはりリスクを避けているのでしょうね。
事故など問題の発生率を少しでも避ける為に色弱の人は避けるみたいです。
以前、職業安定所の求人募集にはっきり「色弱・色盲不可」などと書いてある企業もありました。今はさすがにそんな事はないようですが、書かないだけで思っている事は同じみたいです。
僕も色弱を隠してはいません。でもあえて必要以外口外もしません。今の社会では不利益を被る場合が多いと思います。
おっしゃるように > (「正しい色覚」という基準など、果たして本当にあるのか?と思うのです。色覚は脳での理解力、瞳での色の解析能力に影響されるものですから。)
そうですね。「僕はこんなふうに色を捉えている。他人がどんなふうに見ているのか分からないけれど、これが僕の色の見方だ!文句あるか!」ってちょっと開き直りすぎかもしれませんが・・・。
コメントありがとうございました。
投稿: プル | 2006/03/13 22:13
日本の扱いが随分特殊なんじゃないかと思うのですが、他の国の事情を知らないので何とも言えませんが・・・。
フランスでは、色盲・色弱よりも深刻な就職問題は、人種です。名前が外国人姓であったり、顔写真が黒人であったりすると、面接すらしてもらえないなど。
人種差別にしても、色弱者への差別的対応にしても、「まずその人の能力を見て判断して欲しい」と思います。
色の判断についてですが、色弱と言われていない人たちの間においても、「少し赤味がかった黄色」を「黄色」と言うか「オレンジ色」と言うか、けっこうモメるんですよ。これは色覚異常ではなく、感覚、感性の違いです。では、色覚異常と一般的に言われているものはこれと比べるとどうなのか?と思うと・・・しばし考え込んでしまうのです。
「異常」って単語が入っているのも、おっしゃるとおり、問題ですよね。「障害者」も多少の違和感を感じます。
もっともっと沢山の人が理解を深めるチャンスを、国から、提供して欲しいですね。
投稿: yaco | 2006/03/13 22:56
おっしゃる通り「障害者」もいい言葉ではありませんね。人種や障害に対する差別をなくすにはもう少し時間がいりそうですね。ヒトの進化はまだ始まったばかりのあかちゃんの状態なのかもしれません。だから小さな事にこだわり差別を区別だとへりくつ言ったり、なにかとカテゴリーに分けたがる幼稚な存在なのかも知れません。もっと感覚が進化するとこのような問題がバカらしくなるかもしれません。それを加速させるのが人の思いやりと理解だと思うのですが。などとちょっと偉そうな文章ご容赦下さい。
投稿: プル | 2006/03/14 21:27
はじめまして。
時々、拝見しております。
最近の色覚研究では、色覚の多様性という表現を用いるようです。
http://www.cudo.jp/
障害はその人にあるのではない。人と社会の間にある。
人と社会の接点となるインターフェースの障害を取り除いていくことが、21世紀型の社会をつくっていくことになるのではないでしょうか。
投稿: CDC | 2007/03/15 17:46
CDCさんはじめまして。コメントありがとうございます。
「色覚の多様性」ですか。なるほど。
リンク先のカラーユニバーサルデザイン機構を拝見しました。
CUDマークのCUDの文字の中の小さな3色?が何色か判別できません。Cの青?はかろうじて分るのですが・・・これだけ小さいと色弱者泣かせです。周りに赤(茶)・黄・青の球体があるので同じ色をはめ込んであるのでしょうが、これがユニバーサルデザインのマークだとは驚きですね。
路線図やピクトグラム表示でよく見かけるパターンです。
色相、彩度、明度の差の組み合わせだけでなく、より分りやすくするために面積とそれに接する色も大切な要因です。
CUDマークは僕にとってはイジメみたいなものです。色盲検査表を見ているようで頭が痛くなります。残念です。
投稿: プル | 2007/03/15 23:29
赤緑色弱ですが、CUDマークの配色は良いですね。青・黄色・橙色の3つとも良く分かります。他に白と黒と青緑色も使われていますね。私は視力は人並み(0.8)なのですが、文字の中の色も3つの球体と同じでよく分かります。色々なものをこういう色づかいにしてもらえれば良いのにと思います。
投稿: DIC | 2009/03/02 07:44