文学賞と涙。
最近地方の「文学賞」が多くあるみたいだ。おせっかいな人が要項なんかを送付してくる。相手を考えて送付してもらいたいものだ。ま、へたくそな文章でも応募総数が多い方がいいのは分かるのだけれど。
僕の近くでは「のこすことば文学賞」というのがある。全国から広く作品を募集している。要項には一切書いてないのだが、この手の文学賞はフィクションはダメらしい。作り話か事実かをどのように見極めているのか疑問ではあるのだが。
身の回りの事を文章にして、文学賞に応募する事などそうそうあることではない。
文章の上手い人は何気ない普段を書いてもあるていどの形になる。これはうらやましことだけれど…。
先日美術展会場に「風花随筆文学賞」の募集要項が置いてあり、入賞作品が掲載されていたので読ませていただいた。最近のこの手のスタイルとして「病気」と「死」または「不慮の死」が定着していて、「あふれ出る熱い思い」だけでなく「あふれでる涙」により勝敗が決まるような気もする。もちろん事実を書いたものは多少文章に問題があっても人に与える感動は大きい。
尼崎JR脱線事故に関するブログなんかを読んで考えさせられるものも多かった。これは事実が伝える迫力である。
一方で「いま、会いにゆきます」を読んで涙した人も多い。
そして要項に多い言葉に「伝える」の表記。たとえば「伝えて下さい、あなたのことばで」そういえばI WiSHのアルバムに「伝えたい言葉〜涙の落ちる場所〜」というのがある。やっぱり「涙」である。
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