高校生の美術展。
ある高校の「美術部作品展」を見た。
入り口でB5サイズ8ページにわたって、各部員の作品への思いが綴られているパンフレットを受け取った。
高校生らしい楽しい趣向だ。
もうひとつアンケートがあった。
●作品展を知ったきっかけ●印象に残った作品●作品展への感想●展示してある作品制作者へのコメントなど、ありきたりのものだが、これがかなり頭を使う代物で特に「印象に残った作品」と言う項目。後の集計で得票の多い作品と少ない作品を選別する指針となることを考えるとここには何も書けない。「全て」と記載しておいた。
さて、僕の思ったままを述べさせていただくとする。
入り口付近に「デッサン」と「鉛筆淡彩」があった。いつも言っている事だがこのような作品は技量が分かりやすい。
指導者の癖かとも思うのだけれど、初々しさとか若さとかが希薄で、もっと、たとえデッサンであってもココロを開放してもいいと思う。描いていて「楽しい」と言う感じを受けない。それは全体のフォルムをも殺している。全体のアタリを大まかであっても正確にとりながら細部に描き進めば狂いは少ない。対象物を塊と捉えそれがどのように組合わさっているのか、しっかり見る事が必要だ。
もっと大胆に筆を走らせてもよい、大胆というのは無茶苦茶でもいいと言う意味ではなくて「大胆であり正確に」ということ。
もう一つは「質感」の事。石膏なのかプラスチックなのか?でもこの事を始めに意識しすぎるとバランスが悪いものになる。最初は「大胆に正確に」それに質感は自然とついてくる。
色々書いてしまったけれど、一生懸命な姿は伝わる。指導者や先輩の言葉も重要ではあるが、その指導にじぶんなりの「アソビ」の部分を挟み込む。そうすればぐっと良くなるように感じた。好きな曲でもガンガン聴きながら制作すればもっと楽しく、生き生きしたものになると思う。
一つ気になった点がある。ポスターなどのパネルの水貼りがヒドイ。これはかなりヒドイ。隅にシワなど出してはいけない。おそらく指導者もやり方をしらないのかもしれない。制作前段階の作業である。ここのところをしっかりマスターすることが肝心です。
そして保護用のビニールも絶対シワを出してはいけません。画材屋のビニールシートよりホームセンターにある一番薄いものの方が綺麗に貼れます。
もし、もしも今日の作品展関係者の方がこれを見ていたら、キツい事を書いた事をご容赦願いたい。また、意見等があれば遠慮なく書き込んで下さい。噛み付きませんから(笑)
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コメント
高校生の美術部展ですか~。
高校生ぐらいの年頃だと、本当に指導者の影響が強く出ますよね。(わたしも高校時代は美術部でしたが、美術の先生からはマトモな指導も無いままだったので、先輩に誘われるがまま遠い県庁所在地にあるYMCAの美術系予備校に通ってました。)
デッサンでもココロの開放が大事、これわかります。ロボットがデッサンしたのか?といった感じのカタイものを見ることがよくありました、美大受験生のデッサンなどで。
技術的指導とともに、精神面での導きが大事なんだと思うのですが、そちらの方面でカリスマ的に引っ張っていってくれる先生とはそう滅多に出会えませんね。わたしの中学の時の美術の先生は、今にして思えばハチャメチャだけど精神面での導きを生徒に押し付けることなく進めていた先生だったな~と。。。オランジュリーでモネの「睡蓮」をぺろりと舐めた、「人間の感覚器官の中で舌が一番敏感なんだよ」と授業中に話すような先生でした。(←軽犯罪で捕まりそうですね。苦笑)
プルさんが観られた美術部展、やってる生徒のほうはいっぱいいっぱいなのでしょうかね、水貼りにしても、何にしても。
ブログ上じゃなくって、プルさんに実際に学校の指導者の先生に直接お話をされてみて欲しいなって思います。
高校生くらいの子たちって、本当は「良き指導」を待ち望んでるんですよね・・・。
投稿: yaco | 2006/03/24 17:55
yacoさん高校時代美術部でしたか。僕は(美術部でなかったため)高校の美術部ってどのくらいのもを要求、追求しているのか分からないのです。勉強が主体ですからね。でも芸大などを受験する場合必ず実技試験があります。受験される方はやはり基礎画力の対策が必要だと思います。
先の美術展の高校生の皆さんは本当に一生懸命にやっている姿は伺えるのです。そしていい感覚と力もあるのです。ほんの少し何処かを突っついてやればぐっと良くなるのです。でもそれを手助けする事は僕は出来ないのです。アンケート用紙の裏にデッサンのポイントを書いて提出しておきました。(余計な事かもしれませんがもし何かの参考になれば幸いと思います)これが今出来る精いっぱいのことです。
今気がついたのですが先の美術部の方のデッサン、筆速が遅い感じを受けました。限られた時間の中では細部は無理です。仕上がりを頭の中に浮かべそこに向かって突進することと、筆速を上げる事です。特に受験をされる方は要ポイントですね。
僕は芸大出身ではありませんが、受験経験はあります。デッサンは当然ありました。色彩構成のようなものもありました。課題は「私の休日」だったと思います。もう昔の事なので今の時代とは内容はずいぶん違うと思います。すごく楽しい実技試験でした。
でこれを読んでいる高校生で芸大受験を目指しておられる方は簡単な色彩学と、黄金比(黄金矩形やゴールデンポイント)を理解しておき、作品の中に活かせるとポイントが高いと思います。面の分割や水平線の位置、空と陸の比率、暖色の中における寒色の配置とその比率による調和。審査側はそういう基礎的な部分を見ると思います。その中に自分らしさを盛り込むわけです。好き勝手に描くのは入学してからいくらでも出来ます。
あ、受験して芸大出身ではないということは「落ちたんだな」と思われた方。残念(笑)合格しましたが経済的理由で行けませんでした。(色盲の健康診断がなかった)もし入学してから健康診断で色弱が発覚したらどうなっていたのでしょう?それとも色盲とかにこだわらないスバラしい大学だったのかもしれません。
投稿: プル | 2006/03/25 00:23
このプルさんのコメントを読ませていただいて、よけいでも「ぜひ学校の指導者の方に直接お話をしていただければ」って気持ちです。学校側が生徒を伸ばすための対応が取れないとしたら、「部」としての活動を「学外」に求めるようになるしかありませんよね・・・。そこができるだけの「部長さん(←生徒)」がいるのかどうか。
美術部の生徒は必ずしも「美大受験」を目標に掲げている生徒ばかりではないでしょうから、やり方としては2派に別れるような気がします。「受験準備派」と、「趣味派」です。
YMCAの美大予備校にて“受験技術”中心に学んだのですが、まさに受験のためのデッサンであり、「東○芸大はこんな感じがウケる、武○美は・・・多○美は・・・」みたいな。
そんなのを学んだところで全くもって意味は無いのですが、当時は辟易としながらも、自己崩壊(?笑)になりながらも、「いやいや、コレは受験のためのパスポート取得なのだ」と割り切って自分を一時期殺してがんばっていました。おっしゃるとおり、「好きなことは入学後にいくらでもできるのだから」と。
美大受験用の予備校に行くと、目標大学の試験の形式に合わせてデッサンの時間が設定され、それに合わせて描くモチーフの塊の大きさが決まります。(東京芸大受験を目指す人たちは「1週間デッサン」をしていて、美術短大受験の人たちは3時間以内に終了するデッサン、といった具合に。)
パースとか黄金比とか色彩学とか、そういうのは今思えば「どうでもいいんじゃないか」とさえ思えてしまえる部類なんですが、高校生ぐらいの年頃の子には、できるだけ「感性を伸ばすこと、物事をより深く感じ取ること・考えること」を知り学んで欲しいなぁって・・・わたしはそう思うんです。
先のコメントに書きました“中学の時の美術の先生”はいつも授業中に脱線してばかりで、おしゃべりの時間がけっこう多くて。パリで訪れた美術館の話や、いろんな作品や芸術家の話を子どもにもわかりやすく面白く、手短に話してくれ、わたしはいつもその話の世界に吸い込まれていってました。でも、あの先生のおかげで視野が広がったように思うのです。
芸大・・・入学の際に色盲の検査って普通あるのでしょうか?(わたしの入学した所は無かったと思います。遠い過去のことなので記憶薄いですが・・・。)
あったとしても、「色盲かどうか・その程度はどのくらいか」を知る判断材料として、かもしれませんね。しかし、子どもの頃から散々そういう検査を受けてきているのですから、当の本人は知っているはずですよね。判断材料のためにわざわざ検査なんてする必要は無いように思うので、検査なんて無いのではないかと想像するのですが、実際はどうなんでしょうかね。
投稿: yaco | 2006/03/25 17:59
おっしゃるように「受験準備派」と「趣味派」があると思います。
「趣味派」の方が自由に何でもやれるので、いいものが出来たりするかもしれません。
「受験準備派」はイヤな事でも我慢してやらなければならない辛さもあると思います。でも同時に感性を磨く事も大切ですね。
色盲検査、大学であったかどうか記憶にありません。でも芸大ならあるのかなと思ったわけです。
高校の時、あるデザイナーの指導でこんなことを言われました。
「今まで美術関係の先生から教わった事は全て忘れろ。どうせろくな事は教えていないに決まっている。今から教える事だけを覚えろ。とにかく今日教えた事はいつか忘れる事があってもいいから、とにかく覚えろ。人は忘れて当たり前。忘れたらまた教える。」
なんだよ、すごい事言うな!と当時は思ったものです。
しかも手には竹刀を持っているのです。もう当時の学園ドラマの世界です。
でも分かったんですこの言葉の意味が。今まで教わった指導者から知らないうちに伝わった癖や変に育てられた個性を捨てろということだったのです。そして新たに自分の感性を育てろと言う意味だったと僕は解釈しました。
でも僕の感性は育ちませんでしたね(笑)今の自分を見ているとそう思います。
結局人の作品をみてあれこれ言っているイヤなオヤジです。
先の高校美術部は伝統があり優秀な卒業生が多くいます。有名なデザイナーもいます。OBの結束も強く定期的に展覧会なども開いています。だから部外者の僕は口出し出来る身分じゃないのですが、OBの指導が在校生におよんでいないのは分かります。今度何かのきっかけがありましたら、彼らには話してみます。
投稿: プル | 2006/03/25 23:41
プルさんも、良い言葉をいただいたことがおありなんですね。
わたしも、とある画家さんの展覧会会場にて作家さんと少しお話させていただいた折に、まだ大学入りたての頃でしたからロクなことを知らないわたしに対して「がんばってね、・・・・って言うのは簡単なんだけどね。」っておっしゃって苦笑されておられました。今思えば、かの画家さんは今のわたしくらいの年齢だったかもしれません。今のわたしなら、若い学生さんを前にして、あの画家さんと同じような気持ちになるのかも・・・。
わたしが大学に行って感じたのは、「直接指導があまりに少ない」ことでした。(これはわたしの通った大学の欠点だったのかもしれないので、他校に関しては全く何とも言えません・・・。)教授は作品を見て、何も言わないのです。「ウン、よし。」それだけです。で、後で助教授に言われました、「あの先生が“よし。”って言うのは、このまま続けなさいという意味なのよ」と。伸び行く感性を邪魔しないようにしていたのかもしれませんが、手探りで迷いながら進む生徒たちには、灯台の灯火も必要なのです。わたしには、その灯火がありませんでした・・・。随分迷い、同じ場所を何度も歩き、今のわたしがあるのですが、成長したのかどうか・・・。
感性を育てるためのきっかけを、背中をポン!と押してくれるような人が、中・高校生くらいの時にいれば・・・って思います。必要なのは入り口、きっかけであって、後は自分がどれだけ貪欲に喰らいつくか、ですよね。
しかし・・・竹刀片手に指導されたらちょっとコワいかも。(笑)
投稿: yaco | 2006/03/27 02:23
先生が横でジッと制作状況を見ていて何も言わないのは気になるものです。僕もそんな経験があります。と言うかほとんどアドバイスを受けた事もなければ、聞きもしませんでした。性格悪いからアドバイス受けても聞くとは限りませんが(笑)
ある展覧会に出品した僕の作品について他校の美術教師(画家)が「ここはこうした方がよい」や「この部分は変」だとか言われた事があります。普通はなるほど「ご指導ありがとうございます」といったところだろう。でも僕にはその教師の指摘する意味が解らなかった。「なぜそのような指摘をするのか」その理由(原理)が解らなかった。
その教師ならそのように描くということで、作品は僕のものであり彼のものではない。ゆえにその指導に従う必要はない。
こんな調子だから上達はしない…。
黙ってジッと作品を見た後「ニタッ」と笑って去られたりすると、すごく悩む、すごく考え込んでしまう。
何も言わない指導。これはすごく効きます。頭に、心に・・・。
投稿: プル | 2006/03/27 23:53
前回のコメント内で言葉が足りませんでした・・・
教授に作品を見せるのは月に一度の講評会の時です。教授が“制作途中”を見に教室へやって来ることは滅多にありませんでしたから。
で、作品が仕上がり、今回こそはかなり完璧に近くできたぞ!と自信は持ちつつも、恐る恐る講評会で皆の前で作品を発表。ひとしきり「なぜこのようなモノを作ったのか」について説明し(時に全く話すことも無く沈黙し)、ただひたすら先生方の反応を待つのです。
教授に「いいね。」って言われたこともありました。どこがどういいんだか、ハッキリ言ってください!ってな気分です。脳が消化不良気味でした・・・。
かといって、全ての生徒に対して教授陣が無口なのではなく、とことん攻められてる生徒もけっこういました。だからこそ、このギャップがよけい怖かったんですよね。「なんでワタシには何も言わないんだ・・・?(怖)」って。
展覧会にてプルさんが批評を受けられた時、ぜひとも「おっしゃることがよくわからないので、なぜそのようなことをおっしゃるのか、よくわかるようにご説明いただけませんか?」って喰らいついてみて欲しかったですね~(笑)
次回、機会がありましたらぜひお試しくださいませ。
(“指導”に従う必要など無いのですが、他人の意見を聞くと面白かったり参考になったりしますので、やはり聞くのは悪くないとワタシは思っています。あ、話だけウンウンって聞いておいて、全く実行しないほうがもっと失礼かな・・・?汗)
投稿: yaco | 2006/03/29 16:15
次回批評を受ける事があったらしっかり聞いてみます。
中にはいい加減な批評の場合もありますので、つっこんだ質問すると逃げていくかもしれませんが…。
良い部分ばかりでなく、そうでない部分を言ってくれる方が、他の見方が分かって参考にはなります。
ある地方の公募展の審査で、リーダー格の審査員が「おっ!これはいい」と言うと他の審査員は手を挙げなければならない、という宴席での笑い話があります。
いい作品の基準はどこにある?などと思ったりします。
投稿: プル | 2006/03/29 22:55