スタイライゼーション
今朝NHKで和田義彦氏が自信の絵画作品がアルベルト・スギ氏の先品に酷似しているという問題について語っておられた。
氏によればまったく違うものであり、構図を変化させている。空間、造形、奥の深さをよく見てほしい。私の作品を見てスギ氏が驚き賞賛してくれるものと思っていた。
そのような内容だったと思う。うろ覚えなので細部に関してニュアンスの違う部分はご容赦願いたい。
構図を変化させているということは、スギ氏の作品を資料・素材としたと言う意味にとれる。これも一つの便化だと言うのだろうか、よく分からない。
ベースになる構図を考えるという作業を簡略化したのか。
ゼロからモノを作るより既にあるものをベースにモノを作る方が手っ取り早い。
これは無駄を省くという意味では悪い事ではない。
周りにある製品・商品だってほとんどがベースになるものの上に成り立っている。全てのものを最初から考え作り直すような事は現実的ではない。
例えば自動車だって、最初に発明した人がいて、それがどんどん改良され現在に至っているし、旧モデルのパクリを新モデルはしたなどとは言わない。
どのメーカーの車にもエンジンがありトランスミッションがありタイヤがある。この構造を真似とはいわない。でもこれらの構造を今までに無い方法で連結したり、これらのものを包むもの(ボディデザイン)を真似すればパクリだと言われるかもしれない。人にはそれぞれ考え方の違いや感じ方の違いがある。
芸術には新しいモノを生み出そうとするシーズ指向のためのベースが必要だし、製品には課題を解決するため必要な技術を創造するニーズ指向という違いはあるのだけれど、元になる部分は同じようなものだと思う。この件について書き出すと混乱するのでこのへんでやめる。
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コメント
リンクされてるサンスポで写真を見せていただきました。
なんだか・・・。(汗)
この小さなデジタル画像のみで言うと、どうしても「模写」の感がぬぐえません。本当に改良されているんだろうか?
たとえ改良されているとしても、その場合、ここまで原型を留めているのであれば、わたしならば出典元が明らかになるような形で作品を提示しますが(そこに意味があると思うから)、この方はあえてそれをしなかったんですよね。
この先はまさに伊画家との間の争いで、どちらがホントのこと言ってるのか?みたいな次元での言い争いになっていくのでしょうから、芸術の次元での争いからは逸脱していくので外野には事情のわからぬ世界。しかし、「友人」と言っておきながら、十分な話し合いもできていなかったところに人間として残念な面が見られますね・・・。
投稿: yaco | 2006/06/05 17:17
誰が見ても「盗作」や「模写」「パクリ」と言う感じがしますが、制作の真意が分りません。はっきり「模写」と言って、へたくそ(悪い)な部分を改良して修復したものだと言えば…。絵画教室で生徒の作品を添削が目的で先生が見本を描いたのとは次元が違うので、やっぱ喧嘩になるな(笑)
和田氏は絵画の修復も手がけていたらしい。
二人の関係もなんだか周りが面白く掻き立てているようでもあり、マスコミの言っている事も何処まで本当なのか…?
投稿: プル | 2006/06/05 22:52