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2006/11/09

公表の必然性。

こういう現象が起こるんだよ。
前回、公表の必要性について書いたけれど、こうなると公表の必然性ってやつだな、
イタズラか本気なのかはわからないけれど…。

<自殺予告>新たに1通届く「高2女子」から文科省に  [ 11月09日 15時55分 ] 毎日新聞
  
 文部科学省は9日、伊吹文明文部科学相あてにいじめを苦にした自殺予告が新たに1通届いたことを明らかにした。手紙には「高校二年の女です」と記されており、「私も11日に死にます。いじめた人もゆるせない。殺してやる」などと書かれていた。

 9日午前に文科省に届き、消印は「渋谷」、封筒の表書きは「大臣官房室行」。「大臣様」と書き出し、「私はいじめられています。テレビで男の子の自殺予告文をみて、勇気づけられました」と、7日に文科省が公表したいじめ自殺予告手紙に影響を受けたとしている。7日の手紙も11日に自殺するとしていた。

 文科省は東京都のほか、近隣の千葉県、埼玉県、神奈川県の関係部署に連絡し、該当するいじめの案件がないか調査するよう依頼した。


「テレビで男の子の自殺予告文をみて、勇気づけられました」という部分。
メディアの力が逆に働いたようだな。

う〜ん、いじめより死ぬ事の方がこわくないのか。というか死んだ方がましという選択か?
でもね、無惨で恨みを抱いた姿の亡骸を人前にさらすということも頭の隅においてください。
どこかで分らないようにひっそりと客死するのと違い、自殺によりいじめの存在を自分の身を以てアピールするのはバカラシイと思いませんか。

遺体の下に滴り落ちて溜まった液体が涙には見えません。猜疑に満ちた汚いものにしか僕は思えませんでした。(過去の記憶)

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