高松塚古墳「むしろ跡」の謎。
先日、「高松塚古墳 網目状のむしろ跡5層分を検出」というニュースがあった。
厚さ約3センチの土の層と交互にサンドイッチ状に重ねて土を突き固めてあったそうだ。
この敷き詰められていた「むしろ」について大きな疑問がわいた。
僕は考古学のことなど全く解らないけれど、本当に「むしろ」が敷き詰められていたのだろうか?ということである。
報道では「深さ数ミリのワラの網目が見つかった」や「むしろの痕跡」と言う表現だ。
建築では強度を上げるためにワラを壁土や屋根の漆喰に混ぜることはある。しかし直接雨にさらされ湿気の多い野外となると疑問だ。
土と土の間に「むしろ」を挟めばいつかは腐食する。そうなれば体積の変動により亀裂や表層ズレが生じてしまう。
先の漆喰に混ぜる場合は繊維の絡みにより強度が増すが、土を突き固める版築(はんちく)工法で「むしろ」を挟むのは却って強度不足になるようにも思える。
土を敷き「むしろ」をその上に掛け土を突き固め「むしろ」を取り除く。その上にまた土を敷き「むしろ」を上に掛け土を突き固める。この繰り返しを行ったのではないだろうか。薄く土を何度も突き固めるにはこの方法が一番だ。
庭土を突き固めたことがあるけれど一気に50センチの土を突き固めるより25センチで一度突き固めてから次に25センチの土を盛って突き固める。
今回の高松塚古墳では厚さ数センチの土の層ということだから(元はその何倍もあるだろうが)この厚みの土を突き固めるのは、突き棒に土が付着し作業は困難だ。だから間に「むしろ」を土の付着防止のため挟んだのではないだろうか。
また、これは経験しないと分らないことだが、ワラと土の密着は相性が悪い。もの凄ーく悪い。土とワラを交合に重ねそれを上から突き固めてもズルッとずれてしまう。ユンボで押さえても密着などしない。
「むしろ(ワラ)」の現物が出てきたとしても取り残したものかもしれないし、もし本当に挟んであったとするならば、油抜きを行ったのか?それとも水に浸すなどして少しやれたモノを使ったのだろうか?
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