見せるための演技?
全日本フィギュアスケート選手権(女子)で浅田真央がショートプログラムとフリー合わせて211.76という高得点で優勝した。
紙面には「真央完璧V」の文字が躍っている。
演技を見て、以前のよく似た感覚を思いだした。
あるピアニストの演奏だ。完璧な、まさに聞かせる演奏。なぜこのような演奏が出来るのか。アーティストは体全体を使って感情表現する。いささかやりすぎの人もいて興ざめる事もある。でもこのピアニストは体をほとんど動かさない。腕のオーバーアクションもない。だから軸線がずれずにクリアで研ぎすまされた繊細な音を奏でる。
でも何かが足りない。そんな感じを今回の浅田真央の演技にも感じた。
見せる完璧な演技、聞かせる完璧な演奏。でもそれに見合った伝わるものがなかった。
(充分伝わるものはあるのだけれど、完璧な演技、演奏に見合った伝わるものがなかった。)選曲の「チャルダッシュ」との間に透明な板が挟まっているような感覚だ。
解説や報道、得点のみを見て感覚がシンクロし、少しの懐疑や批判も出来なくなる事は避けなければならないし、そのような諦観に取り込こまれてはいけない。
完璧な演技や完璧な演奏より、ミスはあっても伝わる演技、伝わる演奏の方が僕は好きだ。
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