祈願と祈祷。
神社に出かけると「祈祷」という言葉や文字を目にする。
じゃあ神主さんは「祈祷師ですか?」と聞くと「祈祷師ではありません」とおっしゃる。
こりゃ不思議だ。ご祈祷をされるのに祈祷師ではないとは…これまた摩訶不思議。
じゃあ何なんですかと聞くと「神主または神職です。参拝される方と神様のなかとりもち」だとおっしゃる。仲をとりもつだけ?よくわからない返答だ。
この件について4つの神社に同じ質問をしてみた。返答はみなさん先のような事をおっしゃる。
御社では「祈祷という言葉を現在使用していますか?また今後も使い続けますか?」の答えは全てが「はい」と回答。「でも祈祷師ではないわけですね」という問いには「はい」とキッパリ返答された。
みなさんとても穏やかにやさしく話してくださったのですが、僕のように恩寵から遠ざけられたものには理解しがたい。
一社だけ(嶺北地方のk宮・T氏)は憤慨された。「そのような事に返答は出来ない。非常に不愉快だ。当社の神域に来て感じ取っていただきたい。質問するならもっと神道の事を勉強してからにしてください」とむちゃくちゃな事をおっしゃる。一般人が分らないから聞いたのにこんな回答はヒドイ! 「祝詞(のりと)のいくつかの章句の中に『祈願句』というのはあるのですが『祈祷句』がないのに祈祷というのですか」の問いにカチン!ときたのかもしれない。
神社本庁でも「神主は氏子(参拝者)の祈願を神様に伝える。要するに、なかをとりもつことで神主は祈祷師ではない」と先の現場の神職さんと同じ回答。
この件につき道行く僧侶(曹洞宗)にも突撃質問してみた。
「『祈祷』という言葉は使います。でも祈祷師ではありません」とのこと。総本山・永平寺にも「祈祷」と書いた額が上がっているらしい。
う〜む?先の神職とよく似た感触だ。この問いの回答にプラクティカルなものを求めるべきではないのかもしれない。
広辞苑によれば「祈祷師」とは祈祷を行う神官・僧侶と書かれている。
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