学校給食。
「とくダネ!(フジTV)」で学校給食のアレルギー対応について放送されていた。
命に関わる事なので大切な事ではあるけれど、ふと思ったのは昔はアレルギー対応の給食などなかったけれど、学校給食で死に至る事件など記憶にない。あったのかもしれないけれど、僕は記憶が無い。
嫌いなメニューでも無理やり食べなければならなかった。
クラスには一人くらいは(ポリバケツ)生ゴミ減量係みたいな「食べること命」の人間がいたもので、そういう恩恵に被れない不幸な人は食べなければ放課後まで机におかれていたものだ。好き嫌いなく、完食するのが教育のような時代でそこには美味い、不味いの感覚は意味をもたなかった。
クラス一丸(教師含む)になった「いじめ」のようだがそれが教育だと思っていた。
ものを食べれる事に感謝。そういう考えが第一だった。もちろん「食べれる事に感謝」これは大切な事だ。
先の番組では「今後グローバル化が進めば、国籍や宗教の違いから、食べれない(食べてはいけない教え)と言った問題も出てくる。」と言っていた。
でもこれは変な話で、アレルギー対応の話とは次元が違う。学校給食が宗教、国籍に対応などする必要はない。仏教徒(僧侶)だって○○教徒だって牛肉を食べても死にはしない。ま、この手の話を書くと石が飛んできそうなのでこれ以上は書かなが、とにかくどこの国に住んでいようが、何を崇めていようがそれが原因でアレルギーで死ぬような事はないということだ。
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