言葉のコラージュ。
この一週間を振り返った出来事をテレビで放送していた。
久間前防衛相の発言が流れていた。
はたして彼は「原爆投下しょうがない」と言ったのか。これがずっと頭の中にあった。
7月1日の中日新聞には「『原爆投下しょうがない』久間防衛相が発言」という大きな文字が第一面に。いくつかのサイトも同じタイトル。
とんでもないことを言ったものだ。と怒りが込み上げた。
後に久間氏は「原爆の問題はたとえ話や例示として適切ではない(中略)私の説明がまずかった」と釈明した。
僕はふと思ったのだけれどマスコミや野党がこの問題を「原爆投下しょうがない」という言葉一括りで提示している事に疑問を感じていた。
メディアの力は大きい。「こんな事を言ったんだ。なにっ、それはけしからん」その「けしからん病」が一気に蔓延した。
どこもかしこも「けしからん」一色になった。こうなるともう手が付けられない。
参院選もひかえている。結局、久間防衛相は辞任ということになった。
「原爆投下しょうがない」という言葉は久間氏の講演で述べた言葉を中略して繋いだものだ。こういう見出しは問題がある。真意を理解もせず継ぎはぎされたんじゃたまったもんじゃない。僕が今日テレビで聞いたかぎり「・・・あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないと思っている」と聞こえた。見出しに使われていた言葉とずいぶんニュアンスが違う。これを「原爆が落されてもしょうがない」と訳するにはあまりに短絡的だ。
ここの部分は「(自分の)頭の中の整理をするしかしかたなかった」ともとれる。そうなるとずいぶん報道の見出しと違う。
話の中でいつも適切な言葉が出てくるとは限らない。後で考えるとマズい表現という場合もあるだろう。脇が甘いからだとおっしゃる方もいるだろう。でも解らない時は説明を求めその説明に耳を傾ける努力も必要だ。
氏の釈明にたしか「誤解」という言葉があったように思う。辞書では「事実や本人の意思とは合致しない判断をくだすこと。また、その判断」とある。
マスコミや周りの言葉に一片の懐疑もなく躍らされるのは僕の本意とするところではないけれど、今回やはりそれにつられていた部分がある事を今、反省している。
言語表現力より言語理解力が劣っていた部分があるのじゃないのか。そんな風に思っている。
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コメント
先日読んだ『大庭みな子の世界』という本の中に、「広島の原爆投下で終結するまで止まなかった対外的な侵略戦争」という言葉があって(筆者は広島の人)、ちょうど久間発言の頃だったので、広島と長崎の違いはあるけど、「もしかしたら・・・?」と思いました。
でも、言語コミュニケーション力不足の大臣と国民がいて、その間に、同じく言語力不足で「事あれかし」なマスコミがいるとき、いちばんの注意義務は誰にあるかといったら、やっぱり大臣なので、「ああ、やっちゃったなー」と。
だから、発言後3日のスピード辞任には驚きましたが、それこそ選挙前の党内事情で「しょうがない」という判断だったんだろうな・・・と思いました。
投稿: まちこ | 2007/07/08 06:01
時期が時期だけにタイミングが悪い。野党だけでなく与党からも批判の声が出始めたのでスピード辞任はしかたがない。
周りが失言を待っているようなイヤな雰囲気がある。もう罠をはっているといってもいい。だから大臣たるもの言葉を選ぶべきだし脇の甘さが命取りになる。
次から次へと出てくる不安材料。
既に柳沢氏の発言なんかもうクモの巣がはっている。
投稿: プル | 2007/07/08 22:31