花火と空襲。
夏、花火。あちこちで花火大会が開催されていて音だけが聞こえる夏の夜。
今日8月16日は敦賀市の灯籠流しと花火大会。
東の山の端が明るくなりドーン!パリパリッ!と音がする。稜線がクッキリと浮かび上がるのを眺めていると、昭和20年の夜を思いだす。不思議だけれど当時、僕はまだこの世に存在していない。だけどいつもこの花火の音を聞くと知らないはずの敦賀空襲を思いだす。
当時、僕はここから同じ空を見ていたような記憶がある。
昭和20年7月12日。23時12分頃来襲。翌13日午前2時頃まで続き市街地は焦土と化したという。
稜線を浮かび上がらせ街が焼けていたはずだ。
12,000発の花火の音と夜空を照らす閃光が不気味で鳥肌が立つ。
その瞬間は当時の空気の中にいるようで、焼けこげるニオイや悲鳴までも聞こえるようで、いつからか僕は敦賀市の灯籠流しと花火大会に行かなくなった。
どうしてここの花火大会だけがそう感じるのかは解らないけれど、この夜の東の空は水面に油滴をたらしたような渦が漂っている。
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コメント
花火の「ドーン、バリバリ!」は心臓に悪いです。
ネコも「なにごと?」って顔で警戒するし。
敦賀には、長崎の前日の8月8日に原爆投下の演習としての爆撃もあったんですね。
最近、テレビで知りました。
投稿: まちこ | 2007/08/17 00:22
本当にドーン!という腹に響く音はスゴイというか地球に亀裂が入りそうです。
数日前に西の方で花火大会の音と夜空が明るくなるのが見えていて、その後、北(海が見える)に花火が上がっているのが見えました。どこでも夏は花火が盛んです。
敦賀空襲で焼夷弾から放たれた火のついた生ゴムが気比神宮の朱の鳥居(木製)にくっ付いていたと言う話を祖父から聞いたことがあります。今もその痕が漆の下に残っているのでしょうか、そこを通るたびに祖父の話を思いだします。
僕が小さい頃、9月の気比神宮のお祭りの時その鳥居の下に戦争で体に障害を負った方が軍服姿で立っていたのを今も思いだします。戦争の恐さと、不気味さとが昭和の象徴でもあり、僕たちがよく知っている高度成長経済から安定成長経済だけが昭和のカタチではなくて戦争の上に築かれたものであることも忘れてはいけないとフッと思いました。
投稿: プル | 2007/08/17 23:03
朱の鳥居に燃える生ゴムというイメージは、生々しいですね。
記憶を呼び起こす聴覚や視覚イメージは、人から聞いたものであっても、「記憶」になるんじゃないかしら…と思いました。
「戦争の上に築かれたものであることも忘れてはいけない」…同感です。
投稿: まちこ | 2007/08/18 18:59