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2008/03/26

ヒグラシは鳴かない。

連続テレビ小説「ちりとてちん」も今週で終わる。
月曜日の放送の中にこんなのがあった。

カナカナカナとヒグラシが鳴くのを聞いて、

草々:ヒグラシか・・・。

小草若:もう夏もおわりでっせ。

ヒグラシって夏の終わりに鳴いているのか?Wikipediaによると「地域にもよるが成虫は6月下旬頃から発生し9月中旬頃までほぼ連日鳴き声を聞くことができる」とある。また秋の季語だそうだ。
でもぼくの感覚としては秋に、いや夏の終わりにすら聞いたことがない。「地域にもよる」などと曖昧な表現だからはっきりしないけれど、福井では7月中・下旬が最盛期で、8月になるとだんだん聞かなくなり、やがてツクツクボウシにその座を明渡すことになる。
ドラマの舞台になっている「大阪」では夏の終わりにヒグラシが鳴いているのだろうか。ちょっと怪しい。
カナカナという哀愁を帯びた声が、どことなくはかなさを感じさせるところから、「ああ夏も終わりだな」と思わせるために、このあたりでヒグラシの声を登場させようとしたのなら、おバカちゃんである。
常打ち小屋の二階での喜代美(若狭)と奈津子の会話。

奈津子:*ひぐらし亭?

喜代美:つれづれなるままに、日くらし、硯に向ひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ

奈津子:吉田兼好の「徒然草」。することなくて退屈なのにまかせて一日中机に向かっていたらーゆうやつ。

喜代美:もともと徒然亭の精神に通じとるんやと思うんです。落語が好きで好きで一日中落語やっとるような人たちが集まって毎日毎日落語をやっとる小屋ができあがる。そねしてだんだんみんなが自然に集まってみんなが笑ってくれる。そういう場所になっていくと思うんです。

ま、この場合の「日くらし(日暮らし)」と「ヒグラシ(蜩)」は違うわけですが、「日暮らし」の意味を「一日中」と解釈してその部分だけでここまで引っ張るのは強引です。
「徒然草」が徒然亭の精神に通じとるというのはちょっと分かりにくいですね。感覚的には分かってあげたいのだけれど、究極の孤独である「つれづれなるままに…」を持ってきたのは・・・。しょせん人は孤独なものだといいたいのでしょうか・・・。

*日がな一日落語が行われる場所という思いを込め、常打ち小屋の名前を「ひぐらし亭」とした。

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