« ひぐらし亭。 | トップページ | この肛門が目に入らぬか! »

2008/03/29

私の娘・私の息子

「横尾さん作品差し替え/教科書検定・高校美術」という見出しの新聞記事があった。(3月26日付・中日新聞朝刊) 朝日新聞の記事はこちら

問題の教科書掲載予定だった作品は「1965年の舞踏講演ポスター」その中の「私の娘展示即売会場」という文言が問題になり他の作品に差し替えられたという。
横尾忠則さんは「私の娘」とは、私の作品のこと。(作品は芸術家にとってある種の子ども・舞踏を講演会場で売るという意味)文科省は想像力貧困と述べている。

教科書に掲載された文言の文字は1ミリ程度の大きさという。
(3ポイントより小さい。1ポイント約0.3528ミリとした場合)
実際には「場會賣即示展娘の私」と左方に印刷されている。

美術の教科書でここまでやらなくても・・・一つの作品をここまで難癖つけなくてもいいじゃないか。とも思うけれど、このポスターの本来の役目は「舞踏講演」だったはず。
教科書掲載が目的の作品ではないはず。
文科省をクライアント(依頼人・顧客)とするのはちょっと無理があるけれど、クライアントの要請により作成されたポスターではないのです。
世間では優れていると認められていても、クライアントの意に添わなければポイされるわけです。今回は出版社が掲載を決めたものの、親方である文科省がダメといえばそれに意見などするのが無駄です。文科省とはそういうところだということです。

ただ、これは僕個人の思いですが、このポスターの製作された1965年の感覚ではそうでもなかったのかもしれませんが、「私の娘展示即売会場」と言う言葉はたとえ横尾氏がおっしゃる「作品」という意味であったとしても、現代においては、あまりいい言葉でないと思うのです。「私の息子展示即売会場」だったらどうなるんでしょう。あんまり変なこと書くといらぬTBがあるかもしれません。なるべく誤解を招く用語は避けて書いているつもりですが、ジェンダーバイアスの香りが微かに・・・。

美術の教師が自己判断で参考作品として使うのもいけないのでしょうか?

|

« ひぐらし亭。 | トップページ | この肛門が目に入らぬか! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ひぐらし亭。 | トップページ | この肛門が目に入らぬか! »