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2008/06/30

ミサイル着弾の可能性? (誤警報)

「ミサイルが発射され町内に着弾する可能性があります」という情報が一斉放送された。
場所は福井県美浜町。
原子力発電所があるのでやっぱり狙われたか!
主要国首脳会議を7日に控え、時期的に考えると・・・。

今日の午後4時37分頃、町内58カ所ある屋外スピーカーからサイレンと同時に先の文言が放送された。

防災無線の関連機器修理中に、消防庁と防災無線を結ぶコンピューターを再起動させたところ、この情報が流れたと言うもの。
直後に「誤った情報」と訂正したというが、簡単に誤報が流れてしまうシステムに問題がある。

もし海水浴で賑わう海岸でこの放送が流れたらどうなっていただろう。
こういうことがあると次に流れた時に「どうせ誤報だろ」と聞き流し有事の際に役に立たなくなる。とはいっても地下鉄も地下街もない美浜町では逃げ場などなく結局、誤報でなくても何の役にも立たない。
気休めに砂にでももぐりましょう。

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2008/06/29

Webメール。

最近@niftyのWebメールにログインできなくなった。正確に言うとログインは出来ているがページが読み込めない。トップページに新着○通となっているのに、それが見れないもどかしさ。
もっともこれはSafari(1.3.2)に限ってであり他のWebブラウザでは問題ない。
Safariをリセットしてもダメ。
ニフティのテクニカルサポートに問い合わせるとSafariをお使いの方から同様の問い合わせがあるとのこと。2.0以上に対応していますとのこと。
最近まで問題なかったのになぜ今になって見れないのか、仕様変更があったのか問うてみても変更はないとのこと。ただWebメールはログインしづらい作りであるのは確かとのこと。

話題を変える。
Macのディスクユーティリティ(First Aid)はハードディスクの検証や修復を行うソフトなんだけれど、いつも思うのは「ボリューム○○は問題ないようです」という表示。
とっても自信なさそうで、「たぶん問題ないと思うのですが・・・もしかしたら見逃している部分があるかもしれません。その時はごめんなさい。もし可能なら他の検証修復ソフトをお試し下さい。お手数おかけします」と言う意味があるのかどうか分からないけれど・・・。

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2008/06/27

スイカ。

昭和30年代夏。
保育園の窓から見える道路を、鉱山から砕石を運んでいるダンプカーが埃(ほこり)をモウモウと上げながら通り過ぎていく。

午後三時。ドーン!という音がして遠くに見える鉱山から白煙が上がる。定時のハッパだ。

園児は昼寝を終えおやつを食べて家人の迎えを待つ。皆がみんなお迎えがあるわけじゃない。トボトボ歩いて帰る者もいる。

通り雨があったのに赤土を含んだ道は既に乾いていて、埃が足にまとわりつく。
デコボコ道のいたるところの窪みには、近くで刈り取られた草が押し込まれている。
ダンンプカーに踏まれた草は雨と泥と自らの体液が絞り出され、青臭い腐臭を立ち上らせている。
道路脇の畑には埃をかぶって白くなったほうき草やトウモロコシ、瓜やスイカ。
道際の蔓(つる)が無惨にもいたるところで車に轢かれている。
人の頭より大きなスイカが「僕を蹴って」と訴えている。
ソレーッ!ポンと蹴飛ばした。ボン!という音がしてパックリ割れ赤い実が見えた。
怖くなって走った。

「私の息子をこんな姿にしたのは、だあれだー!息子を返してくれ〜!・・・」割れたスイカを持って泣きながら母親は村中を回った。

気の毒である。

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2008/06/25

行儀が悪い。

梅の収穫時期です。

最近は梅干しや梅酒だけではなく、梅エキスや甘露煮やワインなどもあるようですが、これといって毎年どうしてもほしいと思う商品はありません。
ごくたまに梅干しが食べたくなることがありますが、それとて年に十数個食べるか食べないかといったところです。

先日福井県南越前町というところで「うめまつり」が行われました。
「うめぼしのたね飛ばし大会」なんてのもあったようですが、何ともはしたないというか行儀が悪いと言うか、イベントもここまできたのかの感です。
口に入れたものを「プッ」と吐き出すわけです。そして唾のベットリ付いた種の飛距離を測るわけです。
理解できる人にはそれでいいのかもしれませんが、こういうのはちょっとねー。
梅干しが食べたくなくなりました。

書店で指につばをつけてページを繰る行為が自然に出る方は何とも思わないのでしょうが・・・。

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2008/06/24

NHKの訂正とお詫び・・・。

NHKニュース7 訂正とお詫びなんてもう、ひとつのコーナーになっているようで違和感なく番組にとけ込んでいる。

今日の訂正は「漁船転覆事故のニュースで『甲板(こうはん)の(はん)が一部違って坂(さか)となっていました』」というもの。
(音声だけを聞いていたから画面は見ていなかった)
一部って、「旁(つくり)はあっているけれど偏(へん)が違っていた。惜しい!」ってそんな弁解に聞こえてしまう。
長い字幕の一部が違っていたと言いたいのだろうか?
8時のBSニュースでは「甲板に出たら横波をうけた」と出ていた。おそらくこれと同じものだったのだろう。
「一部」という表現はいらないと思う。
「甲板(こうはん)の板(はん)が坂(さか)になっていました」でいいのではないのか。
もう一つ付け加えるのなら「甲板(こうはん)と読まずに甲板(かんぱん)」と言ってほしかった。インタビューなどで相手が甲板(こうはん)といっても訂正の時は甲板(かんぱん)と言うべきだ。甲板(こうはん)というのは船員が使う言葉であって、いってみれば業界用語みたいなものじゃないのか。

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2008/06/22

ヤメタ!ヤメタ!

「日々移動する腎臓のかたちをした石」村上春樹著
新潮文庫の「東京奇譚集」の中に収められている短編小説。
「奇譚」という事からして覚悟はしていたけれどやっぱり最後まで読んだら「えっえっ?」てな具合でどうも自分の中で収まりが悪い。

淳平が書き出した短編小説に出てくる腎臓のかたちをした石。
その石に対して彼女(キリエ)の眩暈。もともと左右一対あるはずの腎臓が石だからといって、ひとつというのは、バランスを第一に重んじる彼女には許せなかった。それが彼女にとって、とても気持ちの悪いものに感じた。もう吐き気を感じるくらい。

二度目に読んでそんな風に感じたもんだからもう本来の筋など意味を持たなくなって・・・。
腎臓のかたちをした石を操っているのは淳平ではなくキリエで、そしてその石を揺さぶり続けるようにもっていったことが、彼女自身を深淵に落していったんじゃないのかと思ってしまう。
深淵に落ちたなどとどこにも書いてはないけれど、そういうふうに感じてしまう。

最後に小説の中に出てきた小説がヒョコッと顔をだして全体を受けているんだからたまったもんじゃない。

真剣に考えるのヤメタ!ヤメタ!の気分。

*なぜ「腎臓のかたちをした石」でなくてはいけないのか。「心臓でも膵臓でも肝臓でもなんでもいいんじゃないのか」ってことになるけれど、2つ(対になっている)あるのがミソでおまけに不要な物質の排泄をすることも・・・

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2008/06/18

真っ赤なウソ!

「問題な日本語」北原保雄編(大修館書店)の中に「真っ茶」という表現は誤用なのかという部分がある。(64ページ)
質問には「水が真っ茶色になった」という例文が掲げられている。

結論として「真っ茶」は誤用ではないとなってはいるけれど、いかにも辞書の編者的な解説がなされている。

色の表現を色の理論抜きにした、いささかお寒い解説ともいえる。

「『真・まっ』という接頭語の類は<ほんとうに>とか<かんぜんに>といった意味を加え、程度を強調するもの」という同書の解説をもとに考えてみます。

「真っ赤」「真っ黒」「真っ青」などといういい方はよく使われるけれど「真っ茶」はどうだろう?

ちょっとした実験をしてみます。
ここに絵の具があります。色は「赤」「黄」「青」「黒」「白」
色の三原色の赤・黄・青と無彩色の黒・白の5色です。

では問題です。次に指定する色を塗ってください。
 1. 赤を塗ってください。
 2. 黒を塗ってください。
ここまでは簡単です。
 3. 灰色を塗ってください。
 4. 茶色を塗ってください。
ここで考え込んでしまいます。灰色は黒と白を混ぜれば作れます。人により黒に近いか白に近いかはあると思いますがなんとか灰色は塗れます。
では茶色です。これは悩みます。「そんな色どうやって作るんだ」という声が聞こえそうです。先の5色から作れますが、その配合比率は人それぞれだと思います。たとえば黄に赤を少し加えて「茶色」と言う人もいるでしょう。黄と赤と黒から「茶色」を作り出す人もいるでしょう。そこには「茶色」という決まった色の概念というものがないのです。人それぞれの「茶色」があるわけです。

「真っ茶」を許せば「真っ灰」もいいことになります。先に述べましたが白に近い灰色や黒に近い灰色を思い浮かべる人がいて「灰」の概念が曖昧なのです。同じことが「茶」にも言えます。じゃあ「赤」や「青」なら問題ないのかと言われる方もいらっしゃるでしょう。「黒っぽい赤」や「白っぽい青」もありますが一般的に「赤」と言えばイメージする色に大きな差はないのではないでしょうか。多くの方はそんなに違った色を思わないだろうと思います。(かなり曖昧なのですが。)

日本色彩事典によると、
赤→赤系統の総称
黄→黄系統の総称
青→青系統の総称
茶→暗い灰黄赤を中心に明度および彩度の低い黄赤系統の総称
このように「茶」に関しては黄赤系統の総称という分かりにくい(イメージが困難)表現になっています。

赤は記号で表すと5R4/14となります。これはマンセル記号というもので色相を10に分けています。「5」はその色の中心でRはREDのことです。次の数字は明度/彩度を表します。
茶色といってもイメージしにくいので「チョコレートのような色(人によってそのイメージする色は違うと思いますが)」であれば9R2.5/2.5位でしょうか。明度・彩度共に低い(少ない)数値になっています。また9Rなので黄色の方に傾いています。

書いていて僕もよく分からなくなってしまったのが本音ですが、結論からいえば「真っ茶」という表現は適切ではないと思います。人それぞれにイメージする「茶」の概念があまりにもかけ離れている(あやふやな範囲が広い)色だからです。いいかえれば自分のイメージした色を他人もイメージしているだろうと思っている、自己納得型人間用語でしょう。

通常は色の三原色の赤・黄・青と無彩色の黒・白ぐらいが「真っ」を付けても違和感がないのではないのかと思います。

ふと思ったんだけれど茶色の光や灰色の光ってないよね?ある?

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2008/06/17

そんな手にはひっかからない。

スーパーの牛乳。通常賞味期限の近いものから手前に並べられている。
それが逆に並べられていた。
「賞味期限が長いものからお買い求め下さい」というわけじゃないんだろうけれど、この陳列の意味するところは。

賞味期限の長いもの(製造日の新しいもの)から購入する消費者が多い。
販売側は賞味期限の短いものから買ってほしいので手前に並べる。でも消費者は陳列ケースの奥の方に手を伸ばす。
「じゃあ逆に並べたらいいんだ」と思ったのだろうか。

そんな単純な手にひっかかる消費者はいなかったのかどうかは分からないけれど、翌日には通常の並べ方(賞味期限の近いものが手前)になっていた。

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2008/06/15

こだわりをもって生きる。

秋葉原通り魔事件。

秋葉原通り魔殺人事件。や秋葉原無差別殺傷事件。というふうに「殺人」や「殺傷」という言葉を挟む方もいる。
あまり使いたくない言葉である。

こういう事件があると多くの人がにわか評論家になり、話題にしなければいけないかのように話し出す。
新聞やテレビで聞いたことを繰り返し言うヤツ。
「こわいねー」を繰り返すヤツ。
犯人の行為を批判し自分は正しい人といわんばかりにまくしたてるヤツ。
そしてこういう事件が起きる世の中を批判する。
そして多くの場合、客体としてそれを捉えている。

「この事件のようなとんでもない行動に出る人が出る世の中、力強くて柔軟な禅の心のように云々・・・」と言う記事が目に止まった。(中日新聞13日付・地方版)
ある僧侶の展覧会の記事だ。
「力強くて柔軟」フンフン、俺の筋肉のようなことか?分かるようで分からない。

「『まっすぐいこう』『こだわらない』などと禅の心をわかりやすい言葉でつづり・・・」
っておいおい!言葉は簡単だけれどその意味する部分は難しいぞ!「まっすぐに、こだわらずに犯罪を起こした」っていうのはどうだ。

これは記事の書き方が悪いのだろうか。
下ネタにしかとれないなんてのは・・・イカンイカン。

*6月15日追加記入
昨日の記述は新聞記事から感じたままを文字にしただけ。
作品展は自分の目で見ないといけない。「こだわらない」のではなくて「こだわりたいんだよ」と僕は感じた。
この作品展(一言展)を秋葉原の事件に結びつけた事自体に無理があった。
作家との間でそのような話題が出たとしても文章(記事)にする場合、無理やりタイムリーな事象と結びつけると不自然なものになる。

15点ほどの作品をみて感じたのは作者は言葉を与えているだけではなくて、自身にも言い聞かせているようにも感じた。
いくつかの問いかけもあるけれど僕にはうまく答えることが出来ない。
「しあわせですか?」と問われても「しあわせですよ」なんて返答できない。
後にひどく不幸な出来事が起きたとして「あの頃は幸せだったなー」とたとえ思うようなことになったとしてもだ。

「こだわらない」実際の作品では「いならわだこ」と右から左に毛筆で色紙に書かれている。「稲藁(いなわら)ダコ」ってなんだなんて思っちゃいけない。音転倒(メタテシス)しているじゃないか。
これは常識・既成概念(固定概念)といったものに「とらわれない」ということじゃないかと思うんだよ。

余談だけれど先の新聞記事を書いた記者、すぐ下の記事で*「顔をほろこばせていた」と書いている。こういういい方もあるのかと思っちゃうだろ!勝手に音転倒しないでほしい。

同時展示されている「花入展」流木や竹を利用した花器に野の植物を生けてある。素朴でなかなか趣があった。水が足らないのかしおれたアジサイが侘しいのもいい。
「アジサイが雨(水)をもらえず項垂れる」なかなか梅雨に入らないので庭のアジサイがうなだれている。

*6月13日付・中日新聞福井県嶺南版16面

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2008/06/11

イライラする。

あまりにゆっくりと話されるとかえって頭に入らないことがある。
どーでもいいことをいかにも大切なことであるかのように、まるで自分にいい聞かせるような話し方はツッコミどころ満載で、「なにいってんだ!それってちげーだろ!」などとひとり言を言ったりしてしまうもんだから、話が終わる頃にはいったいこいつは何を言いたかったんだ?ってな具合になる。

そんなふうに感じたのは昨日の記事を書いた時に見たSUBARU EXIGAのサイト。
のっけからくそ重いサイトで(うちは光じゃないんだよ)
LOADINDが終わらないとSKIPできない意地悪さもさながら、商品企画本部のゼネラルマネージャ氏のCONCEPT TALKまでが「おまち」をくらい、話しはじめたらそれがスローで、どうせ話に合わせて横に文字も出るんだったら文字だけをポンと出した方がいくらかましというもんだ。

もちろんゆっくりの方が分かりやすくていいという方もいらっしやるだろう。おそらくそんな方の方を向いた作り方をしてあるのだろうけれど、プロンプターを見ながら文章を追うようなスローテンポは鳥肌が立つ。へたくそでも感じたまま、思ったままをダダーッとしゃべり上げてくれた方がまだましというものだ。
まるで会議のレジュメを読み直すようないらだちを感じる。
ま、要するに僕はこの方が生理的に嫌いだというだけなのだろう。
すみませんオオ○○さんには何の恨みもありません。

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2008/06/10

スバルEXIGA(エクシーガ)って?

SUBARU からのDMの中に「EXIGA(エクシーガ)」のリーフレットが入っていた。
シルエットのみで詳細は分からない。6月17日に正式デビューということで同社のWEBサイトでもそのスタイルは暈している。
分かっているのは7シーターでレガシィよりも大きいということ。
この「EXIGA(エクシーガ)」は昨年の「東京モーターショー」にコンセプトモデルが出品されていたので、おおよそのスタイルは想像できる。おそらくフロントグリルあたりに手が入ってくるだろうけれど・・・。
なぜ今時7シーターの大きなモデルを・・・などとも思う・・・7人乗車する場合ってどんな時なんだろうって考えてみたけれど、「あまり必要性を感じない」が今の感想。

コンセプトモデルによるボディサイズは4780×1775×1630mmでホイールベースが2750mmとなっている。
ホイールベースの短さが気になる。以前このブログのどこかにも書いたけれど、スバル車はロングオーバーハングが鼻先を重く感じさせている。
「EXIGA(エクシーガ)」の現車を見てないので何ともいえないのだけれど、おそらくこのサイズのままだと、視覚的な安定感は薄い。

この春にデビューした新しいAUDI A4はロングホイールベースとショートオーバーハングを手に入れた。
これはギアボックスまで伝達された駆動力をフロント側に戻すという手法。
ボデイサイズは4703×1826×1472mmでホイールベースは2808mm。エクシーガーより短い全長なのに長いホイールベースというのが分かる。

*サイズ表示は(全長×全幅×全高)

追加記入/「EXIGA(エクシーガ)」のサイトはSafariではまともに表示できない。Firefoxで見たのだけれど、なぜこういう重い作り方をするんだろう。
R1で転けたので多人数乗車なんて発想が安直すぎゃしませんか。

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2008/06/09

サツキ(ミニ盆栽)

Img_1178一年前に思い切って樹高を3分の1位に切りつめたサツキの盆栽に花が咲きました。
昨年の関連する記事はこちらをどうぞ。

鉢を洗わずに撮影したのでお見苦しい部分は御勘弁していただくとして、花の大きさからサイズが想像できると思います。

サツキなんて気にくわなければズバッと切ればいいわけです。そして新たに出てきた枝からもう一度作っていけばいいわけです。

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2008/06/08

掛(か)けまくも畏(かしこ)き・・・  アーメンと白(まを)す

Img_1079こういうシチュエーションって?
何気ない写真ですがここはチャペルです。

そして二人の女性は・・・?
「巫女」さん?
「えっ?なぜチャペルに巫女さんが?」
なんて野暮なことは言わないでおきましょう。

 ♪慈(いつく)しみ深き〜・・・・

時は六月。ジューン・ブライド。
週末にはあちらこちらで「六月の花嫁」が誕生したことでしょう。

 写真・著作/pure(プル)

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2008/06/07

いまさら聞けない・・・。

PC使っていてトラブルとまではいかないまでも、分からないことって度々出てくる。
マニュアル見たりどこかのサイトを検索したりでけっこう手間がかかったりする。
近くのショップで店員さんに聞けば分かることもある。

僕の住む田舎町はMac人口が少なく(ほとんど近所にいない)家電量販店にはiPodはあるのにMacの事はよく分からないのが現状。
昨年、隣街にあったApple取扱店がなくなりますます孤立した。
ちょっとしたことなら電話でアドバイスをもらえたし、店頭のマシンをさわって怪しい実験などもできた。
アップルサポートに頼るしかないのかと、何年経ってもビギナーの僕は不安になる。

製品を購入してから90日間はMacテクニカルサポートで無償電話サポートが受けられるけれどそれ以外だと有償電話サポートとなる。
これがちょっと高くて一案件5,250円(税込)例えば「『ホーム』フォルダのアイコンを消してしまったのですがこれはどこにあるのですか?」というような、簡単な案件でもこの料金が発生する。「ユーザフォルダの中にあります」というような返答をもらうために弁護士に30分間相談するのと同じ料金が発生する。
電話サポートに頼らず自力でなんとかできればいいのだけれど・・・。
サポートサービスでは参考になるページを希望すればメールで送信してもらえる。(無料)でもこんな手間をかけるのなら電話で「ボソッ」といってくれてもいいじゃないかーと思ってしまう。

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2008/06/05

デジタル一眼レフ。

最近デジタル一眼レフのCanon EOS 20Dを使っている。
今まで息子のお下がりのEOS Kiss Digital Nを使っていて、特に不自由などなかったので、重い20Dなんかいらないよーと思ったけれど、これがなかなかいいのである。
もう4年位前のモデルなので最近の40Dに比べればそりゃースペック的には劣るけれど・・・

この20Dも息子のお下がりで「使わないから」ということで僕のところにころがりこんできたわけです。
EOS Kiss Digital Nがあるからこんな重いもの必要ない。とは思うものの使ってみるとファインダーがとても見やすくて、それだけでいい写真が撮れるように感じてしまうのですからこまったものです。
ま、どうせ大したものは撮れないのでコンパクトデジカメでもいいわけですが・・・

バッテリーグリップ(BG-E2N)を装着したもんだからますます重くなりました。(バッテリーグリップを装着しないとハンドストラップが取り付けられない)
このバッテリーグリップは40Dにも使えるもので、防滴性能がプラスされたのですが、20Dが防滴構造でないので意味がありません。

Dsc00422大きさの比較は写真の通り。もちろん左が20Dです。で、この写真を撮影したのはSONY DSC-F505Vです。

久しぶりにEOS Kiss Digital Nを手に取ってみると、小さくて軽くてこれはこれで捨てがたいカメラで、お出かけの時にどちらを持っていくか贅沢な悩みが発生します。何本かあるレンズも共用できるけれど、バッテリーが共用できないのが難点。

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2008/06/02

伊勢のおみやげ。

久しぶりに「赤福餅」を食べた。
いつもの年だと、年末年始にだれかがお土産で買ってきたものだけれど、昨年の偽装表示による不祥事で春先まで休業していたため、いつもの季節に食べる事が出来なかったわけだ。

さて、お味は・・・あいかわらず美味い! でも赤福餅ってこんなに柔らかかったっけ?と思った。「解凍」したものしか知らなかったのか?などと無粋な事を言ってはいけない。今は六月。気温のせいです。寒〜い冬に食べれば餡も餅も冷えきっていてそれなりの硬さと風味があるものです。
六月の気温は二十℃以上。それぞれの季節にはそれぞれの風味があるというものです。

さて、そんな赤福餅ですがパッケージから「ほまれの」の文字が消えていた。
Wikipediaによれば「赤福では、昭憲皇太后の注文を受けた5月19日を「ほまれの日」と定め、包装紙にも『ほまれの赤福』と称するようになった。」とある。皇后陛下に好評だったのだからつけたフレーズなのだから、今回の不祥事の事とは関係がない。でも、やっぱり*「ほまれ」はさすがに気が引けたのか。

パッケージの中には「伊勢だより」という栞が入っている。季節の話題が書かれていて、どうやら毎日更新されているようだ。今日六月二日の話題は「アユ(鮎)」伊勢と松阪の堺を流れる櫛田川(くしだがわ)はアユの名所とのこと。「伊勢湾育ちの天然アユは、姿も味も一級品です。」と書かれている。う〜んアユが食べたくなった。
気がついたのはこの栞の最後に「赤福十一代目 店主」と入っているけれど以前は店主の後に店主名(濱口典保)と入っていたと記憶する。なぜ氏名を書かなくなったのだろう。

もう一つ気がついたのは「赤福餅」の「へら」
木製で「あかふく」の文字が入っていたけれど、僕の記憶では・・・竹製じゃなかったっけ?それともプラスチックだったっけ?
かなり記憶が曖昧。 
ちょっと調べてみたら本店で作られたものだけ「木製」だそうです。

*「ほまれ」ほめられて、昔からよく言われること。よい評判。名誉。(新明解国語辞典)

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