不祥事の重みとは・・・。
夏。甲子園。8月2日開幕。明日8月1日は開会式リハーサルというこの時期になり、出場が決まっていた群馬県の私立桐生第一高校の野球部員が、強制わいせつ容疑で逮捕された。
こういう事件があると、全国高校野球への出場が問われるわけだけれど、高野連は「直ちに対外試合を差し止める必要はないとみられる」と言っている。
最近発生したようなナイフを使った犯罪であれば、「とんでもない!当然出場停止だ!」となってしまうだろう。もちろん世論を考えてそういう判断がされるであろうと推測するわけだけれど、今回の事件は女性へのわいせつ行為(女子高校生を雑木林に引きずり込んで体を触るなどのわいせつな行為/時事通信社)それをたかが一人の部員がやった「たかが」の行為と受け止めているとしたらちょっと危険。
高校側は「出場させていただきたい」と述べており、辞退の考えは持っていないようだ。
僕は連帯責任という言葉はあまり好きではないけれど、高校という組織の中にある野球部という組織の中の人間の起こした犯罪。
高野連のいう「部活動とは直接関係のない時間帯、場所で行わ場所で行われた」という説明は疑問だらけ。「部活動時間帯に学校の敷地内で発生したわいせつ行為なら問題は大きいが、そうでないのだから対外試合を差し止める必要はないだろう」というのか。
明日の高野連全国理事会での処置はどうなるか分らないけれど、夏の甲子園に出場できても堂々と胸を張って行進できるのだろうか。もちろん他の野球部員には何の罪もないし、出場するからには事件のことなど頭から切り離す必要があるだろう。でもそんなドライな考え方ってはたしてフェアなことなんだろうかとフト思ってしまう。
辛いことかもしれないけれどここでのフェアプレーは出場辞退かもしれない。
そういう選択をしたのならば僕は野球部に拍手を送りたい。
「もしかしたら」という高野連の結果を待っているとしたらそれはちょっとズルイ。
追加記入/2008/08/01
やはり高野連は桐生第一高校の出場認めました。
不祥事を起こしたにも拘らず同校校長の言葉は「出場させていただきたい」だった。
ここで「カチン!」ときたわけで、通常というかまともな考え方としては、同校生徒が逮捕されるという不祥事をおこしたわけだから、甲子園出場をあれこれ考えるより、まずは謝罪であり、そのうえで甲子園出場に関しては日本高野連の判断を仰ぐべきで、生徒が逮捕されたその日に「出場させていただきたい」などと言うのは何を差し置いても甲子園出場優先しているようで、テレビでこの会見を見て、思考力の哀れさを感じてしまった。
だいたい今日の日本高野連の会議で「桐生第一の高橋昇校長に対し、被害者への謝罪と再発防止などの努力を求める要望書を出すことを決めた。」などとそんな当たり前、常識のようなことを決めるなんざもう・・・言葉もない。
今後この手の事件が起こっても、日本高野連はお咎めなしという事例を作ってしまったわけだ。
追加記入/2008/08/03
開会式では同校に対してひときわ拍手が大きいように感じた。
高野連会長もそのように感じたとあとで述べていた。
同校に対して不幸な事件ではあるが、それを乗り越えて頑張ってほしいという気持ちがわからないわけではないけれど、出場する選手には何の罪もないし、この事件によりいらぬプレッシャーをかけてもいけない。
うまく言えないけれど、この事件がなければ同校の名前がこれほど出ることもないだろうし、今後の試合を注目することもなかっただろうということ。
事件により同情とも思える拍手や応援があるのはしかたないことだけれど、そういう応援自体が特殊な意味を持った行為であるのはやはりフェアじゃない。
そんな事を思いながら、同校が試合に出る度に事件を思いだし、それを意識したた応援内容になるのなら(選手にとっても、応援する側にとっても)こんな不幸なことはない。
そしてそんな不幸を何も感じないとするのなら、今回の事件に対する冒涜を(個々が知らないうちに)行っていることになる。
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