帰国子女的・・・文学。
時々翻訳ソフトを使う。
日本語で書いて英語に直す。その英語にした言葉をもう一度日本語に変換すると、当然といえば当然なんだけれど元の言葉とかなり違った表現になることがある。
もともと正確さを欠いた日本語だから正確さを欠いた英語になる。
正確な日本って・・・そんなことはどーでもいい。
そんな作業を思いだしてしまった文章について今日は書く。
米文学翻訳家でもある作家・村上春樹が翻訳を再翻訳した。などと書くとこんがらがるけれど、帰国子女的吉行淳之介文学という春樹の言葉にちょっとニャッとしてしまった。
講談社文庫『やがて哀しき外国語/村上春樹』・「さらばプリンストン」の中のお話。
村上春樹(以後春樹と記す)がプリンストン大学で現代日本語文学を教えている時の出来事。
一人のアメリカ人学生が吉行淳之介『樹々は緑か』を取り上げ論じた。しかし春樹はその作品をずっと昔読んだきりで、その内容をほとんど何も覚えていなかったので再読することにしたのだけれど大学の図書館の『樹々は緑か』は貸し出し中になっていた。そこで学生から英訳本を借りて読むことになった。
その英訳版はかなりきちんとした丁寧な翻訳だったが「これをもう一度そのまま日本語に直してみたらいったいどうなるんだろう」ということで翻訳を再翻訳した冒頭の部分を披露している。
こういうことができるのも春樹ならではのことで、原文(日本語)と並べられたその帰国子女的吉行淳之介文学を興味を持って読み比べ(見比べ)てしまった。
再翻訳の感想を次のように書いている。「原文では過去形と現在形が混合しているが、英文ではそれができないので、ぜんぶ過去形になっている」また「漢字の醸し出す字ヅラの『気分』が出ていない」とも書かれている。
ほんの数ページのことだけれど、こんなことやる作家はいないよね。(いるかもしれないけれど、敢て文章にする人は知らない)いないから僕は面白かった。
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