ボロを着ることはエコなのか?
ものが捨てられない人は確かに存在する。
特に僕より年配の六十歳代から上の方はモノがない時代を生きてきたからしかたない。
ボロボロのシャツやタオル、シーツ、穴のあいた靴下を繕ったりする。
だからといってモノがないのかと言えばそんなことはない。押し入れには贈答品の衣料品をはじめあらゆるものが詰まっていたりする。
でも、もらいものの新品は使わずどこかで買ってきた安いタオルや下着を、雑巾寸前状態まで使う。これはもう病気みたいなもので、周りがとやかく言ったところでどうにかなるというものではない。
「故人となった叔父の持ち物を整理していたら新品の衣料(贈答品など)が出てきたのでリサイクルショップに持ち込んだが安くしか買い取ってくれない。
故人はいつも安いものを買ってきて穴が開くまで着ていた」と誰かが言っていたのを思いだした。多くの遺品は廃棄処分されるのだろう。
ここで思ったのは、このようなモノの使い方ははたしてエコなのだろうかということ。
たしかに個人という単位で考えればそれはそれで節約なんだろう。でも新しく生み出された(生産された)ものがゴミになってしまう。
一度袖を通しただけで捨てるような贅沢な使い方は論外だけれど、現代生活ではなにも穴のあくまで使わなくてもいいと思うのだけれど・・・。
ただ、戦中・戦後のモノのない時代を過ごした方のモノを大事に使う考えには頭が下がる。
環境に負担をかけない生活とはモノを大事にする事なんだけれど・・・などと言うと旧型の大食い家電や、排気ガスの汚い旧車は環境に負担をかけていないのか!とおっしゃるかもしれない。でもそれを代替え(新しいものを作り出す)するために排出されるCO2の事はあまり論じられない。例えば10年乗った車をあと10年乗る場合と今、同じ大きさの新型車を購入して10年乗った場合排出されるCO2の量の差はどうなるんだろう?はたして新車に10年乗った方が圧倒的にクリーンなのか?
10年前の冷蔵庫やエアコンを最新型に買い替えることが本当にエコで環境に負担をかけないのか?
閑話休題
古い(衣類)シャツをボロボロになるまで着てもなんら環境(CO2)に悪影響はない。むしろ皆が衣類を大事にすればそれだけ生産料が減り環境への負担も少なくてすむわけだ。繊維会社にとっては死活問題だけれど……。
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