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2011/04/27

木々の花。

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ハナズオウが満開です。
花は奇麗なのですが、花の後には「豆」がたくさんなります。
木からぶらさがっている豆というのはあまり奇麗な姿ではありません。そして秋にはこれまた奇麗とは言えない葉っぱがたくさん落ちます。

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Img_2716庭桜です。桜と言っても花が八重桜に似ているというだけで、花後の姿は桜というより草に近いものです。

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2011/04/20

西福寺の鬱金桜と・・・。

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敦賀市にある西福寺の鬱金桜(うこんさくら)が咲き始めました。(撮影はストロボ使用)
柔らかい感じの白色です。御衣黄(ぎょいこう)桜とよく似ていますが、こちらのほうが白くてふんわりした感じで温かみを感じます。
それに比べると緑がかった御衣黄は感覚的には冷たいですね。

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御影堂です。いつになったらこの改修工事が終わるのでしょう。っていうか工事をしているのを見た事がありません。
もう何年も前から足場も組んだままだし……。

そして拝観入口の写真です。床は歪み壁は一部崩れています。

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特に左奥の床は20センチくらい落ち込んでいます。歪んでいるのは広角レンズで撮影しているからではありません。
「うねりの玄関」と僕は言っています。最初はわざとこういう造りなのかとも思っていたのですがどうやら違うようです。ま、これはこれで味があっていいものなんですが、なぜ修繕しないのだろうとも思ってしまいます。
床板は拭いた形跡はなく白い靴下は確実に汚れます。靴下が汚れても拝観料300円は必要です。
国指定名勝庭園をはじめ多くの国・県・市指定の文化財をもつ寺院の入口がこれでは……。
敦賀市は原発によって得たお金を箱物に使うのはいいのですが、こういう所にも少しは使えないものなのかとも思ってしまいます。
敦賀観光協会のサイトを見ると「北陸きっての名刹。まだ見ぬ敦賀がここにあります。」などと誰が考えたのか不思議な文言が書かれています。
おお、そういえばこの拝観入口はエッシャーのだまし絵のようだ。

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2011/04/19

松のみどりつみ(新芽つみ)

春の松の管理について書いたのは2006年4月の事だから、もうずいぶん前の事になる。
例年この時期になると「松の芽つみ」についての検索が多くなる。
春に「松の芽つみ(新芽つみ)」が必要な事をご存知の方だからそのフレーズが使われるわけで、僕のような素人がやっていることがはたして参考になっているのだろうかと思ってしまう。

さて下の写真は芽つみをする前の状態。昨秋に古葉を落としてあるとはいえやや混雑気味。
昨年は一度しか芽つみをしていなかったのでやや松葉が長くなってしまった。
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次の写真は、芽つみ後の姿。
さっぱりして風通しも良くなった
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残っていた松葉(古葉)を3割程抜いて芽つみも同時に行なった。
盆栽だと短葉法は二度芽切り(弱い芽を先に切り2週間くらい経ってから強い芽を切る)するのが一般的だけれど庭木にそんな面倒な事は出来ない。指先で摘み取れるくらい柔らかい時に一気に全て取ってしまう。
今年は2度芽つみをする予定。

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2011/04/08

一本の木からソメイヨシノとしだれ桜。

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今年は桜の開花が少し遅れた。
写真は昨年と同じソメイヨシノの木に咲いたしだれ桜。
昨年より少しだけ花が多く咲いた。
枝もほんの少し太くなった。
白いソメイヨシノとピンクのしだれ桜。
はたしてこれに気づく人等いるのだろうか。

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2011/04/06

小便小僧。

放射能の垂流し。まさか我が国がこんな愚行を行なうとはほんの数週間前には考えもしなかったこと。
隣国には知らせずに海へドボドボ流した。
プールや海水浴場でおしっこを垂れ流すのとはわけが違う。
政府はついに他を思いやることすら捨てた。

今後何世紀にもわたり日本は「放射能を垂れ流した」という事実を背負う事になる。
もっと小さな範囲で考えれば、福島県は日本全土に何の申し開きも出来ない事をしてしまった。
太平洋に向かい、まるで「さあ来なさい!」といわんばかりに大股を広げていた福島第一原子力発電所」
そんなスタイルを許していた地元。
震災による被害と同時に考えてはいけない。
そのつけが住み慣れた土地に入る事すら許されなくなった。

我が福井県も原子力発電所立地地域。同じ事が起これば(原発事故)同じ責任を負わなければならない。
原子力発電所を誘致するという事はもしもの時にその責任を負う覚悟が必要だ。
福島県民全員が原発誘致に賛成等はしていなかったのは当然のこと。
そんなことだれでも分かっている事。
最近の報道では原発誘致について「わたしは反対だった」「反対だとはいえない状況だった」という言葉が多い。
遅い!そんな言葉を今頃報道する方も馬鹿げているし今頃そんな事いう人も。
今の電力状況を見ると原子力発電所は必要だろう。
でもその発電所をしっかり管理するのはその地域の人であり政府なのだ。
遠くの人がそんなことをあれこれいってもポイされる。
原子力発電所が建設されれば地元が潤う。なにもなければそれは宝物を手に入れたようなもの。でも今回のような事になれば、その責任は地元の責任も無しとはいえない。そのつけは結局は国民全員が背負う事になる。
そして世界に対して日本国民は土下座をしてもその責任は免れない。

余談:福島第一原発の原子炉建屋ってまるではりぼてのように思えてしまう。立方体というのは均一の強度はない。「一応おもてから見えないように囲っておきましょう」的なものに思えてしまう。
津波が予想される地域にも関わらず、重要な設備は水没してくださいと言わんばかりに低い部分に集中。
これは災害時における設計に関しては欠陥発電所じゃないのか。
「一升枡には一升しか入らない」上からドボドボ水を入れれば溢れる事はアホでも分かる事。
なにか手品でこれを溢れさせないことができると言うのか。

放射能に汚染されたかもしれない野菜や魚に手がでないのはしかたないこと。それを非難する事なんて誰にも出来ない。悲しい事だけれど……。

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