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2012/06/27

R1のロゴをインパネに。

SUBARU R1のロゴをあしらったパネルをインパネに貼った。

Img_3810

厚み0.3mmのアルミ板に厚み0.6mmの桂(かつら)を貼付けポアーステインのブラックで着色。透明のウレタンニスで肉付けしブラックウレタンニスで完全な黒に仕上げた。
下の写真は部分拡大。「R1」のロゴは厚み0.3mmのアルミ板で作成。天地6mmほどの文字だからかなり苦労した。

Img_3812

取って付けた感はあるものの存在感はなかなかのもの。
航空機をモチーフにしたといわれるスプレッドウイングスグリルやインパネなど一連の形状を踏襲したデザインにした。
ドアにもこのようなものを作って貼った。

Img_3809

共に平板なものに見えるかもしれないけれど、3次元曲面なのでアルミを裏打ちした素材は下のような形状(裏面から撮影)に加工する。右の一段下の写真は桂材を貼って削りだしたもの。

Img_3784 Img_3785

3次元曲面加工といっても特に難しいことをするわけではない。
段ボールの上に素材をおいて指の腹で絞り加工するだけ。何度もインパネに当てての微調整がめんどうなだけ。


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2012/06/07

それでも明るい未来を感じさせていた。

昭和に戻ってもいいじゃないか。
電気は充分使ってきたし、あのころ(昭和30〜50年代)電気が不足していたなんて誰も思っていなかった。
限られたものを使ってなんの不自由も感じなかった。

昭和45年(1970)大阪万博の様子をNHKは毎日放送していた。
白黒のブラウン管テレビで、それでも各パビリオンの電飾が十分きれいだった。
今も目をつむ(ぶ)ればキラキラのあかりが昨日のように思い出される。
大阪万博会場を照らしていたのはわが国初の商業用加圧水型軽水炉(美浜原子力発電所)からの電力。
若狭の外れの丹生(にゆう)というそれまで発電所がなければ舗装さえされていなかった砂の道。
荷車が砂にうもれてなかなか進めなかったような半島の先。

にぎりめしをもってバスと汽車を乗り継いで大阪(万博)へ。
パンフレットの印刷の匂いさえ新しい時代を感じたものだ。
暑い暑い夏。
今でも赤いカンナの花を見ると万博を思い出す。
木陰の日本庭園で出された熱いお茶。白い湯のみに薄い黄緑のお茶。
茶色の番茶しか知らない僕たちにとって入れたての黄緑のお茶の味は鮮烈で、暑い夏の暑い思いで。

そして42年たった今、国内の原子力発電所はどこも稼働していない。

原子力に頼らない暑い昭和の夏をもう一度思い出してもいい。

一学期の終業式を終え帰り道、取り忘れられた梅の実がアンズのように黄色く熟して成っていた。
ニイニイゼミが鼓膜を微振動させ「チィィーンンッ……」と鳴いていた。
「さあ明日から夏休みだ!」

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