2015/10/06

自転車のペダル交換。

自転車(GARY FISHER KAITAI)のペダルをSHIMANOのPD-MX80に交換した。

Img_5330

スパイクピンの付いたフラットペダルである。
靴底への食い付きはいいのだけれど、ものによってはソールがボロボロになるかもしれない。
スパイクピンはスペーサーを挟むと2ミリほどの出で、スペーサーを外すと3ミリちょっと位になる。

Img_5332写真のようにピンはネジになっているので、食い付きがいいということはソールにダメージを与えるという事。
合成底のローファーで2キロほど走ったら食い込んだ痕がしっかりついた。
レザーソールだと致命的なダメージになりそうである。
多少食い付きは悪くなるだろうけれど先端を丸く削るか1ミリに削るかするつもり。

このスパイクピンは取付ネジの部分より先は1ミリほど細くなっています。たぶん、すり減ってピンの先が変形しても取り外しが容易にできる配慮のようです。
ここまでやるなら先端形状の違うものも選べたらいいのにと思ってしまいます。
と、まあいろいろ不満を書いてしまいましたが、使い勝手やペダルのデザインは気に入っています。

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2014/04/27

自転車(MTB)のライト。

前回書いた100円のLED(ショートランチャー)をMTBのハンドルに取り付けました。

Img_4595
取り付けはドッペルギャンガーのヘッドライトブラケット(DLST01-BK)
なかなか作りのいいヘッドライトブラケットで取り付け工具は不要。
指で回せるネジなので角度調整も自由。

Img_4601見ての通りブラケットより短いLEDライトですが、こうやってみるとなかなかかっこいいし高級なものに見えてしまいます。

ステムトップキャップが赤なのでライトも赤をチョイス。


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2014/02/08

協調性ゼロ!オラが世界の大将。

昨夜はソチ冬期五輪の開会式をテレビで見た。
入場行進で、ある国の選手団が行進のペースを乱した。ちょっと考えられない行為だが、ああ、あの国の事だからこんな事もありか。
いつも散髪したての七三分けをした(ならう・ちかい・たいら)に対して手を振るための行為だったのか。
オリンピックでも協調性ゼロ。常識は通用しない。こうなると地球の腫瘍だな。

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2012/07/15

自転車のポジションの確認。

Img_3836自転車のシート(サドル)を少し上げたらシートポスト(シートピラー)の限界線近くになってしまったので、5センチ長いものに変えました。
写真の右(短い方)が最初からのもので中央の長いものに交換(バズーカ¥2.520)左がシート。
水準器を使いハンドルとシートの高さを同じにしました。
シートが前下がりに見えますがこれは写真の具合によるもの。水準器で水平を出してあります。

Img_3840この写真でフレームの小ささがわかる(?)と思いますが、股下83センチの僕にはこの位置が一番楽。
小さな谷川沿いの岩場なんか大きなサイズだととても恐くて走れません。
何度も転倒していますが低い方(沢側)に倒れると恐いです。
頭にモモのタネは乗っていませんから。

今日は暑かった。報道によるとこちらは35.5℃だったそうです。
自転車のグリスアップとシートポスト交換という軽作業でも汗だくになりました。

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2010/06/14

南アフリカには「ハエ」の大群がいるのか。

サッカー(W杯)南アフリカ大会。テレビで見ていて、ん? テレビ壊れたのかと思った。
なんなんだあの「ハエ」の大群が飛んでいるような音は。
聞き方によってはハチやラジコンヘリの音のようにも聞こえる。
音の主は「ブブゼラ」というラッパで応援グッズらしい。
気にならない人もいるんだろうけれど、あれは不快な音だ。
自然界であれほど途切れる事無く鳴り続ける音と言えば、セミかカエルの大合唱くらい。そういう音は慣れる事もあるけれど、ブブゼラって慣れるのか?相当大きな音らしいけれど。
不快なのでテレビの音消して見ればいいけれど・・・。
テレビ局の方でフィルターかけてほしい。

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2008/08/17

個人の思想を表さないのもチカラ。

特に見るべき番組がないからとはいえ、オリンピック中継などを不覚にも見てしまった。
前回のアテネオリンピックの時は日本が獲得したメダルは37個(金16・銀9・銅12)そういった金がいくつだとか銀がいくつといったことにはあまり関心がない。
単なるおまつりさわぎで、NHKの紅白歌合戦で紅だろうが白だろうがどーでもいい感覚と似ている。などと書くと反感を持たれるかもしれないけれど・・・。

昨日NHKでレスリング女子の試合を見ていた。吉田沙保里選手の金メダル。
試合そのものより、アナウンサーと解説者のチグハグなやり取りの方がはるかに面白かった。

以前、北京オリンピック日本選手団団長・福田富昭氏が次のようなことを述べていた。
「オリンピックに行く選手、コーチ、監督に配る『行動規範』というものがあり、その中に礼儀をわきまえた行動を心がけ、国歌は斉唱すること」と明記されているとのこと。
「国歌は斉唱すること」などと言われてもね・・・行かれている方は大変だ。人によってはいろいろな思想もあり反発したい気持ちもあるだろう。その点では同情する。

ただ、オリンピックのメインポールに日の丸が揚がり国歌が流れた時(他国の場合も同じ)それに向かって敬意を表すのは当たり前のことで、どうもこの時にソワソワして落ち着きがないのが日本人である。
吉田選手は国歌は斉唱しなかったけれど、「国民の皆さんに感謝する」というのであれば、単位は国であり『行動規範』はルールだから、個人の思想がたとえどうであれスポーツ選手であるのならばそれに従うべきだったのかもしれない。

今日の浜口京子の銅メダル獲得の笑顔はよかったね〜。昨日の吉田沙保里の金メダル獲得の時よりはるかに感動的だった。こういう喜びの表現は見ていても気持ちのいいものだ。
それに比べてと言っちゃ何だけれど、柔道の谷亮子の銅メダル獲得の時は気分が沈んでしまって・・・
一生懸命やった結果の銅メダルだ。子供が駄々をこねたあとの不機嫌顔のようで、どうも後味が悪い。

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2008/08/06

饒舌。

北京オリンピックの開会式まであと2日。
たぶんテレビでじっくり見ることなどないだろうけれど・・・

メデアが発達したためか、やたらと選手へのインタビューが多かったりして、オリンピックに限らず最近はスポーツに関係する人々のよくしゃべること。もう舌に油でも垂らしているんじゃないのかと思うくらいで、やっぱりスター性が求められる世界なのかなとも思う。
スポーツをやるからには寡黙なのはだめなんだよという風潮なのか。

まあ、それにしても自信のありすぎのような言葉が多いのも確かで、「頑張ります」や「全力で戦います」などという、結果がどうであれとにかくやったんだ、という逃げ言葉に変り「メダルを取ります」などという「ほんとかよ、うそだったら針飲むのか」とツッコミを入れたくなるような言葉まで飛び出している。

「頑張ります」や「全力で戦います」は言ってみれば誓いのようなものだろう。
不吉なことは言ってはいけない国ニッポンでは「だめかもしれないけれど全力でやります」などという事はタブーなのである。
「そんないいかげんなことならやめてしまえ」といわれるかもしれません。でも本当のことは終わるまでわからないわけです。

なにがなんでもメダルを多く取る。という、いってみれば員数主義のようなことが始まる前から定められていて、それをバカみたいにああだこうだと言っているジャーナリストや評論家たち。そのことばを多く聞かされていつのまにか選手も民衆もその雰囲気に浸されて、蓋を開けてみれば冬季トリノ五輪のような不振ということだって起こるということだ。
誰もそんな結果を望んではいないだろうけれど・・・

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2007/02/16

一度も使われずに放置されたスキー場。

福井に放置されたスキー場がある。
なんと平成6年に完成してから一度も使われていないという。
テレビで見たかぎり、草に覆われた廃墟。
総事業費2億5500万円の3分の1が国の補助金だという。
税金を投入した施設が一度も使われないまま12年も放置されていたのに、問題にならなかったのは何故か?
まったくふざけた話だ。
市は国からの指示でスキー場がつくられたいきさつを調べているということだが、国も今ごろ気がつくなんて、何をしていたんだ!
関係者の責任逃れでうやむやになってしまうのだろうか。
バカバカしいビューロクラティックなニオイがプンプンする。

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2007/01/20

不可解な不快。

卓球全日本選手権。福原愛の成績の事ではない。
「サー!」の発声(かけ声)。
これの意味するものは・・・?
誰かの真似なんだろうか?
角で人を驚かすようで笑ってしまうが・・・。
気合いとか、一瞬のパワーを絞り出す声ではない。なぜなら事後発声だから。
僕が相手なら(ありえないけれど敢て例えるなら)「るせー!」と言ってしまうかも。

かけ声でよく話題になるのはテニスのマリア・シャラポワ。彼女の声はパワーに満ちあふれている。
行動に伴う発声だからとてもよく理解できる。
「甲高い声」と何処かのサイトに書かれていたけれど、車で言うとフェラリーのような官能的な声だ。(V8?V12?ややこしい事は聞かないで下さい)

事後発声は食後のゲップのような品のないものに思えてしまう。感情が蝟集して一気に発声してしまうのか?
自己勧奨的行為なら他の関与するところではないけれど・・・。
とにかく僕には経験がないから分らない。ひとり言ならよくいうけれど、ブツブツ・・・。

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2006/12/30

見せるための演技?

全日本フィギュアスケート選手権(女子)で浅田真央がショートプログラムとフリー合わせて211.76という高得点で優勝した。
紙面には「真央完璧V」の文字が躍っている。

演技を見て、以前のよく似た感覚を思いだした。
あるピアニストの演奏だ。完璧な、まさに聞かせる演奏。なぜこのような演奏が出来るのか。アーティストは体全体を使って感情表現する。いささかやりすぎの人もいて興ざめる事もある。でもこのピアニストは体をほとんど動かさない。腕のオーバーアクションもない。だから軸線がずれずにクリアで研ぎすまされた繊細な音を奏でる。
でも何かが足りない。そんな感じを今回の浅田真央の演技にも感じた。

見せる完璧な演技、聞かせる完璧な演奏。でもそれに見合った伝わるものがなかった。
(充分伝わるものはあるのだけれど、完璧な演技、演奏に見合った伝わるものがなかった。)選曲の「チャルダッシュ」との間に透明な板が挟まっているような感覚だ。

解説や報道、得点のみを見て感覚がシンクロし、少しの懐疑や批判も出来なくなる事は避けなければならないし、そのような諦観に取り込こまれてはいけない。
完璧な演技や完璧な演奏より、ミスはあっても伝わる演技、伝わる演奏の方が僕は好きだ。

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