心理的に惑わされる。
心理学などというとあまりに範囲が広くて分からないし学生時代、心理学の授業は全て寝ていたので全く記憶にない。一つだけ覚えているのは「ラーメンの作り方はもう分かりましたので試験には書かないでください」という教授の言葉だけ。どうやら「ラーメンの作り方」を答案用紙に書いた学生がいたようだ。じゃあ僕は「うどんの作り方」を書こうとおもったくらいだ。だから難しい話など出来るはずもない。
突然ですがこの「プルことば」の僕「プル」の性別は? なんて聞いたら「男」とほとんどの方は答えるかもしれません。
プルって牡牛のことじゃないのか、なんて声もあります。でも実は「女」です。なんて書いたら「やっぱりそうだったんだ」なんて思う人いるんでしょうか? でも、でもよ~く考えてみてください。ネットでの表現を鵜呑みにしていませんか。
ここ「プルことば」での一人称(自称)は「僕」または「ぼく」としています。「わたし」でも「おれ」でもありません。
ヒトの思い込み、先入観とでもいいましようか「僕」という書き出しで読み手の性別自動判別システムが作動してしまいます。これはほとんどの人が意識しないうちに行なわれている行為じゃないでしょか。
僕の場合、読んでいる文章が理路整然としていたり論理的だったりすると、後でどのような人称表現がでてきてもなかなか軌道修正ができないというか気がつかない場合が多いようです。この場合の僕の性別自動判別システムは「男」と判別するようです。
話が回りくどくなりました。といって最初の書き出しには戻りません。
心的活動について書きます。
ヒトの感覚器官は身体の内外からの刺激をうけることからはじまります。環境の状況センサーのようなものです。
熱や圧感は皮膚、ニオイは鼻、光は目、音は耳といった具合に感覚器官へ刺激として感じます。
これらの通常の刺激ではない刺激もあります。ここで何度も書いている「鳥獣用爆音機」のような瞬間的な大きな音。
感覚器官の興奮の仕方が不自然な刺激を不適当刺激というそうです。
そこで爆音機の音です。ごく小さな(聞こえない音)音(刺激)は物理的に存在していても心理的にはそこには存在していません。ま、そんな音はここでは無視します。
通常の音(音量)といっても基準があるわけではありません。一般的に生活上意識しないで入ってくる音量としておきます。それに対し爆音機のような突然の刺激として感じる大きな音があります。これを先ほどの「通常の音」に対する「比較の音」とします。これら両者の間の差異が大きい場合、感覚の不快感をひき起こします。
シーンと静まり返った座禅中に太鼓をドーン!と叩けばビックリします。心臓によくありません。これが感覚の不快感です。
で、この音の差異ともう一つは音質です。
爆音機の音は鳥獣を追い払うための音です。銃声に似せています。銃声はヒトにとって心地よい音ではありません。
幼い頃からヒトにはこの音が不快なものとしてインプットされているようです。幼児期、学童期に何らかのカタチで入り込んでいるのかもしれません。もしかしたらDNAレベルで既に書き込まれているかもしれません。
音の種類は多くあって書くのも考えるのも面倒なので、心地よい音と不快な音に分けて考えてみます。
心地よい音は鳥の声や音楽だったりします。でも仕事や休息の時にはそんな音も時には不快に感じる事もあります。
その時々に邪魔になれば騒音(ノイズ)です。
なんだかブログにしては文章が長くなってきたし、最初の書き出しとずいぶん違う内容に変化してきました。ここで終わってしまえば中途半端だし次回に続くのは疲れる。どうも何が書きたいのか自分でもよく分からなくなってきました。
愚考します。いままで「鳥獣用爆音機」の騒音に対し何らかの解決策を探ってきたわけです。もちろんこれからも続きます。これは爆音という適応困難な事態に対して自己を守るためであり、この問題は逃避や回避が難しく、僕の行為は他から見れば攻撃的にみえるかもしれません。とくに行政側からみればそう感じるかもしれません。でも正当に行使される攻撃には社会的価値を持つものもあると思います。
攻撃が自己に向けば自殺になってしまいます。爆音機が多く鳴っているところは自殺者が多いといった事が、以前どなたかがここのコメントに書いていましたね。
まだまだ続きそうな感じですが、これで終わります。文章が長過ぎるという感想をいただいた事もありますので……。
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